副業に興味はあるものの、本業、ひいては将来のキャリアにどんな影響があるのか分からず、躊躇している人は少なくないと思います。
2013年にデビューした漫画家のサレンダー橋本さんは、新卒入社した企業で今も働く現役の会社員。エンジニアとしてフルタイムで働く傍ら、精力的に執筆活動を展開し、単行本の発売や作品のドラマ化など、漫画家としても大きな活躍をされています。
そんな橋本さんは、なぜ今も会社員を続けているのでしょうか? 漫画家の仕事と本業の相互作用や、手痛い失敗から得た仕事に対する心構えをお伺いしました。副業が自分と向き合うきっかけとなり、キャリアを考えるヒントになるかもしれません。
初の週刊連載で味わった地獄の兼業生活
――橋本さんは2013年に漫画家としてデビューし、現在も兼業を続けられています。今のお仕事の状況から教えていただけますか。
サレンダー橋本さん(以下、橋本):新卒で今の会社に技術職として入社して、今年で10年ほどです。何度か部署異動があり、仕事内容は変わったりもしているのですが、現在はエンジニアとして会社のウェブサービスの開発から保守まで全般的に関わっています。
漫画の方は『ヤングチャンピオン』(隔週)と『別冊ヤングチャンピオン』(月刊)で連載を1本ずつ。あとはイラストの連載も1本あります。余裕があればほかにイラストのオファーを受ける時もありますけど、固定で動いているものはこんな感じですね。
――日中は会社員の仕事があると思いますが、漫画はどの時間帯に描かれるんですか?
橋本:平日の夜か、あとは土日ですね。だいたい20時くらいに会社から帰宅して、ご飯を食べて、子どもが起きていたらちょっと遊んでから寝かしつけをします。その後、少し妻と話して、漫画を描くのは22時から3時間くらいですね。朝はなかなか作業ができないので、完全な夜型になっています。
以前、『週刊SPA!』さんで週刊の連載をやっていた時に、仕事量を見誤って地獄のような日々を過ごしたので、今は本業優先で自分のキャパシティを超えないように気を付けています。
――地獄の日々……。どんな状況だったのでしょうか?
橋本:現在の隔週の連載に加えて、毎週〆切があったので、次は何を描こうかと24時間追い詰められている感じでした。昼休みに編集さんと打ち合わせをして、夜も家族がベッドで寝ているのに、私は固い床かソファーで仮眠をとるだけ。お腹の上にスマホを置いて、アシスタントさんや編集さんから連絡が来たらすぐに起きて作業ができるようにしていました。それを365日繰り返すわけなので、寿命が10年くらい縮まったと思います……。気づけば、赤ちゃんだった子どもが普通に立って歩いていて、もう無茶な生活はやめました(笑)。今となっては良い思い出ですが。
漫画の副業で会社がすべてではないと気づけた
――一時は兼業生活に苦労されたとのことですが、それだけ順調に漫画家としてのキャリアも歩まれているということだと思います。昨年は『働かざる者たち』がドラマ化されたりもしましたが、一本に絞ろうとは考えませんか?
橋本:たまに考えてみたりすることもありますけど、今のところはないですかね。良し悪しだと思うんですけど、やっぱり会社員の給料で最低限生活はできるので、そのぶん自分が本当に面白いと思ったものだけを描けるところもあるのかなと思います。
それに、僕の場合は会社員生活で溜まったストレスや恥ずかしさみたいなものをネタにしているところがあるので、会社員生活がなくなった時に同じように描けるのかよく分からない。「なんで、こんなに意地悪なことを言うんだろう」という人に出会ったり、あるいは自分が会議で得意げに答えた内容が、あとで間違ってると分かったり(笑)。そういう時に自分の感情を観察してメモして、「漫画で復讐してやる」って気持ちで描いてるところがあるんですよね。
――なるほど、会社員生活が完全に漫画に生かされてるんですね(笑)。
橋本:たまに、1人で夜中に残業している時に、なんで自分だけ残らないといけないんだ!とイライラしてきて、パソコンにおしっこをかけて全部終わりにしようかなと思ったりとか。でも、できるわけないから漫画で発散する。
偉い人がこっそりSMバーに通ったりすることあるじゃないですか。あれって、普段は会社で気を張っているぶん、そこで自分の幼稚な部分をさらけ出すことでバランスをとっているんじゃないかと思うんです。自分が漫画を描くのも、そういう反動というか、何か恥部をさらけ出したいという願望からきているのかもしれません。
――逆に漫画家の活動が会社員としての仕事に役立っているところはありますか? 例えば、兼業を始めたことで会社員としての姿勢や意識が変わったとか。
橋本:会社員としての自分がすべてじゃないと思えるようになったことで、精神的に救われているところはありますね。編集部の人など会社の外に知り合いができたり、漫画を読んでくれた人からお便りをもらったりと、広い世界から受け入れられる体験をすると、会社の仕事や人間関係が“絶対”ではなくなるというか。たまたま会社では上司と部下の関係かもしれないけど、外に出れば漫画家と読者の関係になるのかもしれない。そういうことが肌で分かったことで、いろんなことを許せるようになりました。
あとは、会社員と漫画家という2つのアイデンティティができたことも大きいです。仕事で落ち込むことがあっても「まあ、いいか、俺には漫画があるし」と思えるし、逆に漫画のアイデアがまったく浮かばない時も「だって、会社員だしな」と思える。常にどちらかの逃げ道があるので、必要以上に追い込まれないし、深刻になりすぎないですね。まあ、本当にそれでいいのかというと、ちょっと微妙な感じもしますけど……。
――ただ、そうやって心を軽くしないと潰れてしまいますからね。
橋本:そうですね。常にそれを逃げ道にするのはよくないと思いますが、心を病んでしまうくらい追い詰められそうになったら、兼業はそれを回避する手段にはなり得る気がします。
もともと漫画を仕事にするつもりはゼロだった
――そもそも橋本さんが本格的に漫画を描き始めたきっかけは何だったのでしょうか?
橋本:学生時代から漫画やお笑いがすごく好きで、何かやりたいという気持ちはずっとあったんですけど、どうも恥ずかしさが先に立って、結局は高校・大学と何もやらずに就職をしてしまって。ただ、漫画は変わらず読み続けていて、社会人になって自由に使えるようになったお金をつぎ込んでいたんです。休みの日にブックオフで一気に100冊買ったりとか。
その中に、漫画家を目指す二人の少年の成長を描いた藤子不二雄さんの『まんが道』という作品がありました。漫画家を目指していた主人公の満賀道雄が就職してサラリーマンになり、それでも漫画への情熱を捨てず、兼業と専業の間で揺れながら漫画を描き続けるんですね。会社でいじめられたり、致命的な失敗をした日でも、家に帰って夜中まで漫画を読んだり描いたりしていて。この作品を読んで、自分も就職して人生が決まっちゃったような気がしていましたが、やりたいことはやらねばと思い立ちました。
当時は入社3年目で、わりと時間がとりやすい部署にいたので始めやすかったというのもありましたし、ずっと溜め込んできた自己顕示欲みたいなものをぶつけるように、バーっと4コマ漫画を描いてブログに載せていきました。
――学生時代の「やりたいけど恥ずかしい」という気持ちも消えていたと。
橋本:そうですね。実際に目の前にいる人に漫画を読んでもらって感想をもらうとかは絶対に無理だけど、インターネットの匿名の世界に投げ込むのはなんてことないかもなと。どうせネットの世界は全員他人ですから、別にこれがつまらないと叩かれてもいいやと思いました。
子どもの頃から絵を描くのは好きでしたが、いざ漫画を描くにあたっては手塚治虫先生の『マンガの描き方 似顔絵から長編まで』という本を参考にしました。その中に4コマを描ければどんな漫画も描ける、と書いてあったので、4コマから始めたところもあります。あとは家にあった漫画を見よう見まねで書いていきました。
――連載にはどのようにつながっていったんですか?
橋本:4コマが5本とか10本くらい溜まった段階で、いろんな媒体に漫画をまとめたZIPファイルを送りました。いま思えば無謀なんですけど、「新聞の4コマに載せてください」って新聞社にも連絡してみたりとか(笑)。あの頃は、「自分を見てくれ!」というような沸々と沸き起こる何かがあったんですよね。
――応募したメディアから返事は来ましたか?
橋本:返事が来たのは2つだけでした。『モーニングツー』という雑誌の4コマコーナーと、ウェブメディアの「オモコロ」です。ただ、早い段階で雑誌に載ったのはかなりうれしくて、最初の頃はそれのおかげで気持ちが持続したところもありました。今、振り返ってみると、ずっと手元に作品を置いておくのではなくて、とりあえず人の目につくところにすぐ出したのが良かったのかなと思います。誰かとつながって、〆切とかができればやるしかなくなるじゃないですか。
――オモコロではその後しばらく連載をされています。もともと読者だったんですか?
橋本:4コマ漫画を描くにあたりいろいろ調べているときに、圧倒的に面白いと思ったのが「オモコロ」でした。このサイトに載せてほしいと強く思い、募集もしていないのに問い合わせ先アドレスに漫画を送りました。編集部の人からすると、いい迷惑だったと思うんですけど、少し時間が経ってから連絡をいただいて。
それから連載させてもらいましたが、あの時はいつも必死でしたね。読者もですが、何よりオモコロの人たちにつまらないと思われたくなかった。だから、出す時は毎回ビクビクしていました。
――ちなみに、その時から副業として「漫画を仕事にしたい」という気持ちはあったのでしょうか?
橋本:いや、ゼロでした。当時は、これが何かに繋がるとか、将来どうなるかとかまったく考えていませんでした。ただ単に、自分が面白いと思っている人たちに受け入れられたいという一心でやっていましたね。
自分のなかの100点を目指しすぎない
――漫画と会社員に限らず、本業と副業のバランスの取り方に悩んでいる人も多いと思います。橋本さんは時間的なバランス、精神的なバランスをとるために心掛けていることはありますか?
橋本:どっちも100%でやろうとすると、絶対にパンクしちゃうと思います。かといって、両方が80%ずつでも、合計160%じゃないですか。だから、合計で100%になる塩梅が大事ですよね。私の場合は、編集さんには大変申し訳ないんですけど基本的には会社優先で、休日出勤があったり、どうしても外せない会社の送別会などがあったりする時は、漫画のスケジュールを調整してもらうこともあります。
どちらに軸足を置くかはハッキリさせておいて、無理のない範囲でやらないと長くは続かない気がします。そもそも無理をして漫画のクオリティが下がったら意味がないですからね。読者の人は作者が兼業とか関係なく、面白ければ読むし、つまらなければ読まれなくなって終わりなので。
――過去にそのバランスが崩れかけて失敗したぶん、余計にそう思うのでしょうか?
橋本:そうですね。今は自分のキャパシティが分かるようになりました。一時期は仕事のオファーがくるとうれしくて、ハイになってしまっていたというか。自分が世の中に受け入れられているという喜びを感じて、それの中毒みたいになってどんどん詰め込んでしまった。でも、今は上手に断ることもできるようになったし、だいぶバランスがとれるようになったような気がします。
――二つの仕事のちょうどいい塩梅を探るために、実際に変えた部分はどのあたりですか。
橋本:どこかで見切りをつけるようになったことですかね。特に漫画の連載をやっていると毎回決まった締め切りがあるので、自分のなかで7割の出来でも出さないといけない状況が度々あります。もちろん、100点のものを出したいんですけど、そこで「ああ、本当はもっとすごいものができたのに……」と引きずりすぎてしまうと連載は続けられません。私はどちらかというと、「まあいいか、次は71点取れるようにがんばろう」と切り替えられる性格なので、なんとか続けられているように思います。
――確かに、それはとても大事な考え方ですね。
橋本:世の中にある漫画や映画でも、作者が本当に心から納得して出せたものってそんなに多くないんじゃないかと思います。どんな天才でも限られた〆切の中で、「やりたいことの60%しかできなかった……」って悔やんでいたりするんじゃないかと。でも、本人の気持ちとは裏腹に世間からは大絶賛されたりもする。逆に、本人は100点と思っていても、周囲の評価は芳しくないこともあります。
だから、じつは自分の中での100点を目指すってあまり意味がないんじゃないかとも思うんですよね。何が受け入れられるかよく分からないので。だったら、専業で根詰めてやるよりも、兼業で今くらいのペースで無理なく描き続ける方が、自分には合っているのかなという気がします。
(MEETS CAREER編集部)