“子どもの人気者”となった小島よしおの現在。「来年、消える芸人」からYouTuberへ華麗に転身

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俳優や芸人、バラエティタレントの主戦場といえば、テレビ番組、映画、舞台など。しかし、近年ではそうした従来の活動の場を飛び出し、SNSやビジネスの世界などで新たなポジションを切り拓く人も増えています。そうした人々の活躍の裏側に迫る「型破り」。

今回ご登場いただくのは、お笑い芸人の小島よしおさんです。20代の頃に「そんなの関係ねぇ」のネタで大ブレイク。海パン×筋肉スタイルで「おっぱっぴー」と叫ぶ姿は、当時の子どもたちを熱狂させました。

あれから15年。小島さんは現在、子どもたちに楽しく勉強を教えるYouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」のよしお先生として、当時とは別の形で子どもたちの支持を集めています。また、2011年から始めた子ども向けのお笑いライブは、年間100回以上もの公演を行う小島さんのライフワークとなりました。

数多くのお笑い芸人の中でも、子どもにターゲットを絞った小島さんのアプローチは、ある種“型破り”です。その背景にあった芸人ならではの悩み、子どもの心をわしづかみにするまでの試行錯誤、それにより、どうキャリアを広げてきたのか。たっぷりお話を伺いました。

全方位から「消える」と言われて。「武器」をつくるために必死だったあの頃

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──小島さんは2011年から子ども向けのライブを始め、コロナ前には年間100回以上も開催していたそうですね。でも、2007年に「そんなの関係ねぇ」でブレイクした頃から、私自身は「子どもにも人気のある芸人さん」というイメージを持っていたのですが?

小島よしおさん(以下、小島):「そんなの関係ねぇ」がたまたま子どもたちにウケて、まねをしてくれたからそのイメージがついただけで、別に子ども向けのネタをやっていたわけではないんですよね。

当時の単独ライブは、どちらかというと「ファンや芸人仲間が笑えばいいや」というくらいの気持ちで臨んでいました。子どもからすると本当にワケが分からないネタばかりだったと思いますよ。

──なるほど。では、本格的に「子ども向けのお笑い」に舵(かじ)を切った理由は何だったのでしょうか?

小島:いつだったかの単独ライブで、上演中に関係者のお子さんが泣き出しちゃったことがあったんですよね。開演からまだ30分も経っていないのに「帰りたいよー」って。その時に、「うわ、俺、子ども泣かしちゃってんだ。やべえな」って思いました。

もちろん、その時は子どもウケを狙っていたわけではないのですが、ターゲットが違うとはいえ、笑わせにいって泣かれてしまったのは少なからずショックでしたね

それ以来、単独ライブを続けるかどうか迷うようになって、先輩芸人の松田大輔さん(東京ダイナマイト)に相談したんです。そこで松田さんが「だったら、子ども向けに1回やってみたら?」と言ってくれたのが、大きなきっかけになりました。

──松田さんは、小島さんと子どもとの相性の良さを見抜いていたんでしょうか?

小島:そうかもしれないですね。当時松田さんのお子さんをあやしたりもしていましたから。

それに僕自身も、基本的に自分のお笑いスタイルは子どもと波長が合うなと感じていました。『キン肉マン』の嶋田(隆司)先生もおっしゃっていましたが、子どもって裸と筋肉が好きじゃないですか。あと、単純で分かりやすいネタも好きですしね。

──そもそも当時、仕事が減っている焦りのようなものはありましたか?

小島:それもありましたね。なんせ、2008年から10年ごろには週刊誌の「来年、消える芸人ランキング」で3年連続1位でしたから。ほかにも、「占い師に聞いた来年消える芸人ランキング」「女子高生に聞いた〜」「子どもたちに聞いた〜」などでも1位になって、全方位から「消える」と言われていました。当然、焦るし、それにあらがおうと必死に仕事をしているところがあったと思います。

また、いろんなバラエティ番組に出演しながらも、常に実力不足を感じていました。特に『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ、2011年に終了)という番組では何もできなくて、無力感でいっぱいでしたね。周りはすごい先輩たちばかりで、何かしら自分の特徴を生かして笑いをとるんです。でも、僕には何もなくて。無理やり前に出てはスベって周りに助けてもらうみたいなことしかできなかった。

だから、自分の武器をつくるために、資格をいっぱい取ってみたり(後述)もしたんですけど、なかなか仕事につながるものは少なかったです。

試行錯誤でつかんだ「​​子どもにウケるネタ」の王道パターン

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──子ども向けライブを始めた当初は、どんな苦労がありましたか?

小島:ウケる、ウケない以前に、お客さんを集めるのが大変でした。というのも、その頃は子どもの学校や子育ての事情を何も知らなかったんです。

今思えば当たり前なんですけど、いつものライブのノリで平日19時スタートとかにしていたので、そりゃ子どもは来てくれませんよね。ほかにも、ネタとネタの間に暗転を入れると子どもが怖がって泣き出してしまったり、予期せぬことがたくさん起こりました。

──ネタ自体に対する子どもたちの反応はどうでしたか?

小島:これも、最初は手探りでした。絶対に笑ってもらえると思ってやったことが、意外にウケなかったりして。

例えば、子どもってオナラが好きじゃないですか。だから、オナラをしながらポールダンスするネタを考えたんです。大爆笑間違いなしだろうと自信満々だったんですけど、いざやってみたら3発目のオナラくらいから子どもたちが飽きちゃって……。でも、今さら止められない。オナラの音だけが響き渡る会場でポールダンスを踊り続ける、地獄の時間でしたね。

──子どもにウケる笑いを、どう研究したのでしょうか?

小島:ドリフ(ザ・ドリフターズ)の『8時だョ!全員集合』だったり、子どもに人気のある番組を見て、まねしてみたりはしましたね。でも、それもウケるものとウケないものがあって、なかなか難しかった。一度、自分がいかりや長介さんの役をやって、ドリフのほかメンバーに扮した共演者4人がボケ倒す泥棒コントをやったんですけど……めちゃめちゃスベりました。

一方で、ウケたものもあります。ヒーローショーの設定で、バナナを使って変身をするんですけど、そのバナナが見つからないっていうコント。バナナはパンツの後ろに挟んであって、子どもたちに背中を向けるとそれが見えるんです。すると会場から「後ろ、後ろ」って子どもたちが教えてくれる。まさに、志村けんさんの「志村、後ろ、後ろ」ですよね。

──ドリフの時代から、子どもたちの琴線に触れる王道パターンのようなものがあるんですね。

小島:そうですね。ほかにも、子どもって人が何かを食べているのを見るのが好きみたいで。僕がひたすらチョコボールを食べる動画を流した時も、なぜかずっとウケていました。そういえば、志村さんもスイカを食べていましたよね。

きっと、子どもならではの盛り上がるツボみたいなものがあるんだと思います。そういうものを一つひとつ試しながら、何となく手応えをつかんでいったという感じですね。

かつて目の敵にされていた保護者に言われた「ありがとうございます」

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──子どもに受け入れられているという手応えは、いつ頃から感じ始めましたか?

小島:2011年からスタートして5、6年後には、子どもにも楽しんでもらえているという感覚はありました。1時間のライブ終演後に、「もう終わっちゃうの?」という子どもの声が聞こえた時はうれしかったです。もともとは泣かせてしまったところから始まっているので、感慨深かったですね。

でも、本当に手応えを感じられるようになるまでにはさらに5年くらいかかったと思います。そのあたりから業界内でも「最近、子どもに人気あるらしいね」と声をかけられるようになって、やってきたことが伝わり始めているなと。

──子どもはもちろん、保護者からの人気も高まっていったのでは?

小島:確かに、保護者の方から思いも寄らない言葉をかけていただくことは増えました。例えば、僕のYouTubeの動画を見た親御さんから「子どもが授業動画(後述)を見て、◯◯ができるようになりました。ありがとうございます」と言われたり。

これまでは、僕ってPTAの敵でしたからね。「子どもが“そんなの関係ねぇ”をまねして、親の言うことを聞かなくなった。どうしてくれるんだ!」と、どちらかというと「苦情を言われる側」だった。小学校の先生になった同級生から「生徒が言うことを聞かないから、(ネタを)やめてくれないかな」って連絡が来たこともありました。

──それが、今では逆に感謝されるようになったと。

小島:もう、真逆の反応ですよ。そもそも、「そんなの関係ねぇ」だって、決してそういう(悪い)意味のギャグではない。あれは、下手をこいた自分を奮い立たせるための言葉と動きなんです。

だから、今ではライブで子どもたちに言うようにしています。「“そんなの関係ねぇ”っていうのは、言うことを聞かなくていいっていう意味の言葉じゃないよ。友達が悩んでいたり、自分が困難にぶつかったりした時に使ってね」って。

「自分が持っている武器の近くにある何か」にチャレンジして紡いできたキャリア

──先ほどお話に出たYouTubeチャンネル「おっぱっぴー小学校」ですが、2020年に開設してから小学生向けに「時計のよみかた」や「九九」といった算数などの授業動画を配信しています。子ども向けのライブを始めた頃から、いずれは教育系のことをやってみたいという思いがあったのでしょうか?

小島:いえ、まったくそういうわけではなくて。これも、きっかけは知り合いの放送作家さんから誘われたことですね。自分は基本的に、人から言われてやってみて、評判が良かったら続けるパターンが多いんですよ。子ども向けライブもそうだし、YouTubeもそう。他人から言われた意見に素直に従うことで、割とうまくいってきたように思います。

逆に、自分発で何かを始めたり、ヘンにプランを立てたりすると、いつも下手をこくんですよ。

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──例えば、これまでどんな下手をこいてきましたか?

小島:いろいろなことに手を出してみては、自分に合わなくてやめることは多いですね。ポールダンス、太鼓、カポエイラ……。それからオンラインサロンもやってみましたけど、おそらく芸能界最短で閉鎖しています。

──それでも、とりあえずやってみようというバイタリティはすごいと思います。それに、挑戦したことがすぐには実らなくても、将来的に何かしらの形で役に立つこともあるのでは?

小島:そうですね。失敗したとしても、自分に合うか合わないかはチャレンジしてみないと分かりません。だから、あまり深く考えずにいろんなことを経験しておいたほうがいいのかなと。

資格取得なども、その一つかもしれません。もともとは「消える、消える」と言われてた時期に、形に残るものが欲しくなっていろいろな資格に手を出しました。でも、そこから資格の勉強をする楽しさを知り、中には仕事につながったものもあります。

子ども向けの資格をたくさん取っているのも、少しでもライブの質や親御さんたちに対する説得力が上がればという思いからでした。

──ちなみに、どんな資格をお持ちなのでしょうか?

小島:キッズコーディネーショントレーナー、ジュニア野菜ソムリエ、パーソナルフィットネストレーナー、ジュニア・アスリートフードマイスター、日本漢字能力検定準1級、日本さかな検定3級、ダイエット検定1級、ナマハゲ伝導士……などですね。

──子ども、食、健康からナマハゲまで、本当に幅広いですね。それだけ幅広く学ぶのは本当に大変だと思いますが、小島さん自身が今でも勉強しているからこそ、授業動画の説得力も増してくるのでしょうか。

小島:どうですかね。ただ、少なくとも僕自身は学ぶことが楽しいと感じていますし、子どもたちにも勉強を嫌いになってほしくないという思いで動画を発信しています。

僕も経験があるのですが、学校の授業についていけなくなると、勉強自体がイヤになってしまうじゃないですか。「おっぱっぴー小学校」では、そういう子たちを取り残さないよう伝え方を工夫しています。

掛け算の九九も、数字が苦手な子だとなかなか頭に入っていかないから、僕の授業動画では絵や歌を使って覚えるやり方を発信しているんです。そのやり方で九九を覚えられました、という声も結構いただきますね。

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──そうした工夫の甲斐もあって、2021年には「保護者500人が選ぶ教育系YouTuber人気ランキング」(CyberOwl調べ)で1位を獲得しました。

小島:それについては理由がよく分からないですね。ほかの教育系YouTuberの人に比べて、チャンネル登録者数も再生回数も全然少ないですし。ただ、保護者の方に選んでいただいたのは素直にうれしいですし、もしかしたら10年くらい子ども向けライブをやってきた経験や実績も生きているのかなと。

そういう意味では、これまでにやってきたことがすべてつながって、今があるのかなと思います。感覚としてはお楽しみ会の時に天井から吊るす、「折り紙の輪っかをつないだ飾り」のようなイメージですね。自分が持っている武器の近くにある何かにチャレンジして、ちょっとずつ輪をつないでいった結果、キャリアが広がっていったように思います。

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次は50歳で「FIRE」を目指したい

──小島さんは20代でブレイクし、かなりハードな日々を送りながら「子ども向けのネタ」に挑戦されてきました。会社員の場合も、忙しくなると心の余裕をなくし、今とは違ったチャレンジに手が回らなくなってしまいがちです。小島さんは多忙な日々の中でも挑戦を続けるために、何か心掛けていたことはありますか?

小島:結果を残せるかは別として、毎回の現場で必ず準備はするようにしていました。たとえ未経験の仕事でも、まったくの丸腰で臨むということはなかったですね。例えば、『イロモネア』のようなネタ番組が決まったら、そこに向けてしっかり新ネタやギャグを練る時間をつくるようにして。

当時、忙しい中でつくったネタは今でも自分を助けてくれています。昨日もショートネタを30個くらい用意しなきゃいけない仕事があったんですけど、そのうち半分は一番忙しかった時にできたものですから。

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──そして、そうやって若い頃に頑張ってつくった貯金は、30代、40代になっても役に立つと。

小島:そう思います。全力で挑戦し続けていれば、一つひとつの層は薄くても、それがミルフィーユみたいにちょっとずつ重なっていく。それが経験を積むっていうことなんじゃないですかね。

──最後に、今後の小島さんのキャリアについてお聞きしたいです。これまでのさまざまな経験を踏まえ、今はどんな将来像を描いていますか?

小島:まずは、子ども向けのネタの質をさらに高めたいです。例えば、ライブでよく「野菜の歌」を歌うんですけど、音程を外さないようにボイストレーニングにも通いたいと思っています。

それから、「そんなの関係ねぇ」も、できるだけ長くやり続けたい。そのためには、常に締まった体でいないといけないし、「下手こいたー」でジャンプする時も、よりきれいに開脚したいから関節の可動域を広げるトレーニングが必要です。ネタのためにも、体のメンテナンスはしっかり続けたいですね。

中長期的な展望としては、投資である程度の資産を築いて、できれば50歳くらいまでにFIREを達成できたらいいなと思っています。

──小島さんにお金や投資のイメージがなかったので、少し意外でした。子どもだけでなく「お金」にも好かれようとしていると。

小島:そういうことになるんですかね(笑)。そもそも今、ちょっと投資に悪いイメージがついていて、特に芸人界隈(かいわい)では敬遠する人も多い。この前、後輩に「投資いいよ」って言ったら、ものすごい疑いの目で俺のことを見てきましたからね。だからこそ、逆にやってみようかなというのもあって、イチからお金の勉強をしています。後輩に引かれたのも僕の声のかけ方や説明が下手だったからだと思うので。

投資でうまく資産を築ければ自由な時間が増えるし、その時間を誰かのために使える。今後はちょっとずつ仕事をセーブして、ボランティアとか社会貢献的な活動を増やしていきたいですね。

──自分のための投資が、人のためにもなる。

小島:そう、「ラブ&ピース」……、いや「ラブ&ピーヤ」です。

──「おっぱっぴー」から子ども向けのネタ、YouTube運営、そして投資へ至るまで、小島さんの取り組みの根底には常にピースがあるんですね。

小島:すごくかっこつけて言うと、自分だけじゃなく周りも平和に、そしてハッピーにしたいというのは、ずっと思っていることですね。

今の僕は仕事に追われて、時間が限られているので実現するのは難しい。だから、お金に働いてもらって、もっと自由になりたい。その上で、できるだけ多くの人をオールハッピーにしたい。つまり、「おっぱっぴー」ですね。

小島よしお
1980年生まれ、沖縄県出身。2007年に「そんなの関係ねぇ」と「おっぱっぴー」で大ブレイク。2011年から子ども向けのライブを開始。2020年にスタートしたYouTubeチャンネル「小島よしおのおっぱっぴー小学校」は子どもだけでなく保護者からも支持を集めている。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
撮影:関口佳代

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