
「させていただく」と、どう付き合えばいいのでしょうか。言語学者の滝浦真人さんに「使いこなし方」を学びます。
教えてくれる人
なぜ「させていただく」は、これほど広まったのか
そもそも「させていただく」は、なぜここまで広く使われるようになったのでしょうか。
「『させていただく』は明治時代の初め頃から見られる言葉で、その少し前から使われていた『〜ていただく』という言い回しが変化したものです。
現代では『誤用なのではないか』といった声も見られますが、文法的に誤っているわけではありません。単に、自分の行為をへりくだる時に使われる謙譲表現の一つです。
それでも数ある謙譲表現の中で、『させていただく』がひときわ広く普及したのは、自分が相手に何かをする場面で使う言葉なのに、『相手に許可をもらった』というニュアンスを出せるからだと思います。『あなたがいいと言ってくれたから』と、あたかも自分に決定権がなかったかのように表現できる。
この点が、深く知らない(距離感を計りかねる)相手に気を遣ってコミュニケーションしなければならないビジネスの場で重宝されたのだと考えられます(※)。
※……『三省堂国語辞典』第八版(2022年)では、『許しをもらってするときの、けんそんした言い方』『許しをもらってするかのように、自分の行為をけんそんする言い方』『思いどおりにするとき、うわべだけ礼儀を示した言い方』という3種類の意味が紹介されている。
決定権の所在が分かりづらいのは正確性に欠ける、と思う人もいるでしょう。
実は日本語の敬語は、客観的に物事を伝えることを重要視しません。客観的な事実よりも「自分がそれをどう思っているか」という主観を伝えることに重きが置かれているのです。
例えば『こちらがメニューになります』という表現。
『これがメニューです』と言い切ると、『私たちが決めたメニューだ、何が悪い』と尊大な印象に聞こえてしまう。だから『私たちはメニューのつもりですが、そうなっていますでしょうか?』というニュアンスを組み込む。
こうした、客観より主観を伝え合うことこそがコミュニケーションだと考える文化は、日本語の敬語ならでは、と言えるかもしれません」
「させていただく」が広まった理由
- 「相手に許可をもらった」というニュアンスを出せるから
- 深く知らない相手とコミュニケーションしなければならないビジネスの場で重宝されたから
「させていただく」を連発するだけでは、相手との距離は縮まらない
「させていただく」が誤った使い方の言葉ではないことは分かりました。けれど一方で、使いすぎに悩んでいる人も少なくないはずです。私たちはこの言葉をどう使いこなせばいいのでしょうか。そのカギが、「敬語は相手との〈距離〉を示す言葉」という滝浦さんの視点です。
「『させていただく』の代わりに、『させてください』と言える場面もあります。しかしこの二つは、相手との距離感がまるで違います。『させていただきます』は、自分がひたすらかしこまっているだけですが、『させてください』は、『くれる』の主語が相手側なので、すがりついてお願いしているニュアンスが出る。つまり、その分だけ相手との距離を縮めているんですね。
『させていただく』を連発するだけでは、なかなか相手との距離が縮まりません。
なぜなら、『あなたには指一本触れませんが、頂戴するものは頂戴します』とドライに言い放っているようなものだからです。
こちらは踏み込まないので、あなたも踏み込まないでね、とバリアを張っているような。時代劇の『お命頂戴』というセリフに顕著ですが、相手に『嫌だ』と言われてもお構いなしにこちらの意思を貫き通すような感じがします。
あまり知らない相手ならベタベタ触れない配慮も大事ですが、比較的親しい相手に『させていただく』を使いすぎると、逆に失礼に思われてしまうかもしれません。
だからこそ、『させてください』のように、あえて距離を縮める表現も効果的に使いたいところです。
『させてください』は相手が『いいですよ』と言わない限り、自分は何もできない。すると、相手は『この人のために一肌脱いでやろうか』と思うかもしれません。相手の自発性を引き出せる可能性も出てくる。
このように、話し言葉か書き言葉かを問わず、敬語を生かすには相手との距離感に意識を払うことが大切です。
難しさを感じるならば、相手と距離を縮めたり離したりするゲームだと考えれば、気が楽になるかもしれませんね」
「させていただく」と、相手との距離感の関係
- 「させていただく」を連発するだけでは相手との距離は縮まらない
- 相手と距離を縮めたいなら、それを意図した表現を効果的に使うべし
- 敬語を生かすには相手との距離感に意識を払うことが大切
丁寧さと伝達効率は「トレードオフ」
とはいえ、相手との距離感だけで言葉遣いをコントロールするのは簡単ではありません。特にメールは相手の顔が見えない分、距離感を推し量るのが会話より難しくなります。
「させていただく」を良い感じに使うために知っておきたい、もっと実用的なものさしがないものか。滝浦さんにお伺いすると、「伝達効率」というキーワードを教えてくれました。
「ポライトネス(相手との関係性に配慮した丁寧さ)と伝達の効率は、トレードオフの関係にあります。両立することはできません。
つまり、言葉遣いが丁寧になるほど、意図が伝わりづらくなる。逆に言葉遣いがラフになるほど、意図が伝わりやすくなる、ということですね。
極端な話、伝達効率が一番いいのは、敬語を使わないコミュニケーションです。これは敬語を減らすほど距離が縮まりやすくなる、という話に似ています(※)。
※……対人コミュニケーションにおける、丁寧さと言葉遣いの関係を示した「ポライトネス理論」によると、丁寧ではない言葉遣いも状況次第でコミュニケーションを円滑化させる。
このことがよく分かるのが、相手に何かしらの不利益を伝える場面です。
最近は『禁止させていただきます』という表現も普通に使われていますが、『禁止いたします』に比べて、『どれくらい禁止したいのか』というこちらの温度感が伝わりづらい印象もありませんか?
『禁止させていただきます』の方は、あまり深刻に受け取られないかもしれません。
やること(禁止)は同じなのに、こうして言葉遣いを変えるだけで意図の伝わり方が変わってくるわけです。
だから、こちらの意図をスピーディーかつ明確に伝えたいなら、丁寧さは減らすしかない。
具体的な仕事のシーンに落とし込むなら、メールなどで言葉遣いを部分ごとに使い分けられるといいのかもしれません。
ある部分は『いたしかねます』とストレートに言い切り、ある部分は『させていただきます』を活用しながら控えめに伝える。これができると、自分の意図や温度感が相手により正確に伝わりそうです。
そしてメールの文章に悩んだら、オンラインでもいいので、一回相手と会って話してみるのも得策です。一度でも顔を合わせれば、相手の人となりや「どういう距離感で接してほしいのか」が分かるので。
『とりあえず最大限へり下っておこう』ではなく、伝達効率を上げたいところと、伝達効率を下げてもいいところを選り分けながら、敬語をコントロールしていく。その感覚を持つだけで、一本調子の言葉遣いから抜け出せます。
マナー本のように『この使い方は絶対に正しく、この使い方は絶対に間違い』と断じてしまえば、たしかに分かりやすいでしょう。しかし、敬語は相手との距離を示す言葉なので、固定されているとあまり意味をなしません。常識的な使い方をしていさえすれば、敬語の中身は本来、相手の距離感や人となりによって変わるものです。
むしろ、マナーのように考えない方が生きた言葉を使えると言えるでしょう」
「させていただく」と、伝達効率の関係
- ポライトネスと伝達効率はトレードオフの関係で、両立できない
- こちらの意図をスピーディーかつ明確に伝えたいなら、丁寧さは減らすしかない
- 伝達効率を上げたいところ、伝達効率を下げてもいいところを選り分けて、敬語をコントロールすべし
「させていただく」を使うべきか、そうでないか。その答えは、目の前の相手との〈距離〉や、自分が何をどう伝えたいかによるようです。
この「本質はマナーやルールにはなく、相手との関係の築き方にある」という視点は、言葉遣いに悩む私たちにヒントを与えてくれそうです。
大切なのは、正解の言い方を一つ覚えることではなく、そのときの相手との関係や距離に目を向けること。
迷ったときは、「いま自分は、相手とどのくらいの距離にいたいのか」を考えてみる。それだけでも、言葉の選び方は少しずつ変わっていくはずです。
記事で学んだことを、早速仕事のコミュニケーションでも生かしてみましょう。
取材・編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職
「言葉遣い」に迷ったら



