地方での経験が次のキャリアの軸を教えてくれた。私が鹿児島・東京の二拠点生活をへて「スペシャリスト」の道を選ぶまで #地方で働く

松薗美帆さんOGP


今の仕事を続けて何になれるのか。自分の専門性をこのまま貫き通すべきか、あるいはジェネラリストにシフトすべきか。そんなキャリアの悩みを抱えながら日々仕事に向き合っている人は少なくないと思います。

松薗美帆さんは東京のIT企業に勤めながら、生まれ育った鹿児島で地域活性化プロジェクトに携わってきました。もともと本業の専門性を生かして地方の仕事にも携わりたいという思いがありましたが、東京と鹿児島の二拠点生活をへて生じたのは、地域活性化の現場で求められるスキルと本業での専門スキルとのギャップ、そして「ジェネラリストを目指すべきか、スペシャリストを目指すべきか」という問いでした。

二拠点生活で経験した「迷いと選択」が次のキャリアにつながったという松薗さん。キャリアの方向性や可能性の広げ方を模索する人にとって、松薗さんの経験は一つのヒントになりそうです。

松薗美帆と申します。現在はFintechのスタートアップで「UXリサーチャー」として働いています。UXリサーチャーとは、リサーチから得た学びをサービス開発につなげていく専門職。その専門知識を生かし、先日「はじめてのUXリサーチ」という著書も執筆しました。

私は2016年から18年の間、平日は東京で会社員として働き、週末に鹿児島で地域活性化プロジェクトに携わる二拠点生活を送っていました。

UXリサーチと地域活性化とは直接つながらないようにも見えます。でも、私がUXリサーチャーというスペシャリストの道に進んだのは、二拠点生活の経験があったからです。

今回は、私が「スペシャリストになりたい」という思いを固めた二拠点生活について、振り返ります。

「専門性を生かして社会課題を解決したい」という想い

私は大学生の頃から、「専門性を生かして社会課題を解決したい」と考えていました。

これは当時、NPOでインターンシップをしていた時に「プロボノ」という仕組みを知ったからです。プロボノとは、専門的な知識や経験、スキルを、社会貢献のために提供するボランティア活動のこと。

名だたる企業に勤める方々が、仕事で培った経験や専門性をボランティアの場で発揮する姿は頼もしく、「社会起業家やNPOの職員にならなくても、こういう形で社会課題を解決することもできるんだな」と衝撃を受けました。何よりプロボノに関わる皆さんがイキイキとかっこよく見えて、「自分もこういう働き方をしたい」と憧れました。

私自身も社会人1年目から早速プロボノを始めました。しかし、まだ知識も経験も浅い当時の自分が現場で貢献できることは少なく、「社会課題の解決に役立つ専門性をどうしたら身に付けられるのだろうか?」と不安を抱えるようになりました。

ただ、まずは社会課題に向き合ってみないと何も分からない、と当時興味を持っていた「地域活性化」の現場に飛び込んでみようと決心。ここから2年にわたり、私の出身地である鹿児島と東京の二拠点生活が始まったのです。

地域活性化の「レジェンド」との出会い

主な活動フィールドとして選んだのは甑島(こしきしま)です。鹿児島本土から船で約1時間。島の海域を含む半分以上が国定公​​園や天然記念物に指定されている、自然豊かな美しい離島です。実は、鹿児島に住んでいた当時はその存在を知りませんでした。

甑島の風景

甑島の名前を知ったきっかけは、ヤマシタケンタさんという方でした。彼は生まれ育った甑島にUターンして山下商店という豆腐屋を始めたのを皮切りに、宿、レストラン、コワーキングスペースなど次々に事業を立ち上げました。今や他地域のコンサルティングや商品開発のコーディネートにも携わっています。鹿児島の地域活性化に携わる人で知らない人はいないほどのレジェンドです。私は、「ぜひとも彼の元で勉強したい」とアプローチ。社会人インターンシップとして無事受け入れてもらうことになったのです。

山下商店の外観
山下商店甑島本店の様子(写真提供:東シナ海の小さな島ブランド株式会社)

ヤマシタさんのもとで携わったのは、「KOSHIKI FISHERMANS Fest」という漁師祭の立ち上げでした。漁師さんが獲ってきた魚を目の前で焼き、参加者はその魚を漁師さんと食べながら語り合うイベントです。

農作物は生産者の顔が見えるように売られていますが、その販売手法は鮮魚の分野ではあまり普及してません。だからこそ、イベントの参加者に「◯◯さんの魚を買いたい」と思ってもらい、鮮魚の直販ルートを切り開きたい、というのがヤマシタさんの想いでした。

「社会課題と向き合うには専門性だけでは難しい」という気付き

当時私は本業のプロダクトマネージャーという専門職で、WEBサービスやアプリの企画・ディレクションに携わっていました。一つのプロジェクトを担当するなかで、専門のUXデザインの仕事だけでなく人・モノ・お金を管理する経験もありましたが、リアルなイベントの立ち上げに携わるのは初めて。正直、「自分に務まるだろうか?」という不安もありました。

しかし、始まったらそうも言っていられません。プロジェクトの進行管理、販促物の制作ディレクション、事務作業、広報。こぼれ球を拾う気持ちでなんでもやりました。イベントをPRするために、地元のテレビ番組やラジオ番組に出演したのもいい思い出です。プロジェクトメンバーも、豆腐屋、漁師、グラフィックデザイナー、大工などさまざまな職種から構成されていました。

松薗美帆さんラジオ出演の図
ラジオ番組に出演した時の図

プロジェクトを進めていくうち、あることに気づきました。「あれ、なんだか本業でやっていた管理の仕事などとそこまで変わらない仕事かも」と。WEBサービスも、イベントも、何かを実現させるために人・モノ・お金を動かす点においてはリンクする作業があると感じたのです。

何かを企画し、リソースを管理しながら形にしていくという基礎的なスキルは、どのような領域であっても役立つのだと気づけました。

一方、当時の仕事(プロダクトマネージャー)の中でも自分の専門分野だと思っていた「UXデザイン」については、そもそも地域活性化の現場で「UXデザインができます」と宣言したとて評価につながりません。もちろん、スキルセットとしては役立つ部分もありますが、そうした専門性にこだわらず、何でも拾って前に進めていく、いわゆる「ジェネラリスト」としての姿勢のほうが重視されていたのです。

島の人たちは、たいてい個人でいくつもの仕事を掛け持ちしていました。例えば、漁師さんもただ魚を獲るだけでなく、自ら商品を開発して島の外へ営業に行ったり、SNSを更新したり、飲食店を営んだり。そうした「なんでもやる」マインドこそが、立場の違いに関係なく、地方で仕事するうえでは必要なのだと感じました。

二拠点生活を送っていた当時の松薗美帆さんの写真
二拠点生活を送っていた筆者の当時の写真

地域活性化はクリエイティブで面白い

そしてイベント当日。目の前で漁師さんと参加者が笑い合っている様子が強く心に焼きつきました。

普段携わっているWEBサービスやアプリでは、ユーザーが実際に使っている場面を見る機会は少なく、「自分の仕事は誰の役に立っているんだろう?」とたびたび疑問に思っていたのです。

それと比べ、地域活性化の仕事は手触り感があって、クリエイティブで面白い。私の心に火がついた瞬間でした。

KOSHIKI FISHERMANS Festの様子
2016年11月に開催されたKOSHIKI FISHERMANS Festの様子

この「KOSHIKI FISHERMANS Fest」が終わった後も引き続き甑島に通い、別のプロジェクトに関わるようになりました。その過程で「僕らが甑島に行く理由」という小冊子や「みんなの鹿児島案内」という書籍に甑島のエッセイを寄稿するなど、あまり本業ではやったことのないライティングの経験が積めました。

専門性にこだわらず、さまざまな経験を積んで、自分の向き不向きを知ることができたように思います。

松薗美帆さんが寄稿した冊子

また、多い時は月に2回ほど東京と鹿児島を行き来していたので、甑島の人たちに「おかえり」と言ってもらえるほど、現地のコミュニティに溶け込んでいました。

ぶつかった「ジェネラリスト or スペシャリスト」という問い

地域活性化の現場で求められるのはジェネラリストのスキル。でも、ジェネラリストのスキルは汎用性が高いからこそ、それだけで優位性は出しづらい。「自分にしかできない仕事」がなければ、わざわざに東京の人間に仕事をお願いする理由もありません。コミュニケーションが取りやすい地元の人にお願いしよう、となってしまいます。かといって地域活性化の現場ではスペシャリストのスキルがフィットしない場合もある。

やがて、そんなことを考えるようになりました。

この「ジェネラリストかスペシャリストのどちらを目指すべきか?」という問いは、二拠点生活で生まれた、「専門性を生かして社会課題を解決したい」という想いを持つ私にとっては大きな、今後のキャリアにも影響する問いでした。

そしてちょうど、二拠点生活を続けるための交通費にも頭を悩ませていた頃でした。はじめの半年間こそ中小企業庁の「ふるさとプロデューサー育成事業」という制度で補助が出ていたものの、その後は持ち出しだったからです。

今後どのような形で地域活性化プロジェクトに携わるべきか、立ち止まって考えるべき時が来ていました。

専門性がないとジェネラリストとも言えない

このような悩みを当時勤めていた会社の役員に相談したところ、「専門性や軸が一本ないと、ジェネラリストとも言えない。何でもできるようで、何もできないんじゃないかな」と返されてハッとしました。ジェネラリストだから専門性を持たなくていいわけでも、ジェネラリストorスペシャリストの二者択一でもない、スペシャリストをへてジェネラリストを目指す道もあるのか、と気づいたのです。

実際にその役員はもともとリサーチの専門家としてキャリアを積み、事業責任者となっていました。スペシャリストとしての経験を軸足に自分のキャリアを広げたその役員の姿は、私の中でひとつのロールモデルとなりました。

これを受けて私は、「どちらを目指すにしても必要な修行期間だ」と思い、当時興味のあったUXリサーチャーという専門職として転職することを決めました。UXデザインの業務の中でも「リサーチ」を軸に据えた、より特化性の高い職種です。

それからしばらくの間、ひたすら専門性を身に付けるために、東京でUXリサーチの副業を優先したり、大学院に通い始めたりしました。地域活性化プロジェクトと少し距離を置いたのです。

もちろん、このままUXリサーチという専門性を極めても、地域活性化の現場から遠ざかるだけなのでは? という不安もありました。

しかし、​​最近では「専門性は本業で生かして、マイプロジェクトとして社会課題に携わる」という考えに落ち着きました。なぜなら鹿児島での取り組みで「専門性を直接生かせなくても、ジェネラリストのような動き方で熱意があれば貢献できるのだ」という気づきを得たこと、そしてそのジェネラリストの要素は専門性を磨いた先にも広がっているという助言を得たことで、当初想定していた「専門性×社会課題」の結び付きを過度に意識しなくていいと思えたからです。

実際、こうして記事を書かせてもらったり、現在通う大学院の課題で甑島の地域活性化事例を論文にしようとしたりと、自分ならではのアプローチも試せるようになりました。

またもう一つ、「地域活性化の仕事で稼がない」と決めたことも背景にあります。地域活性化に興味はあれど「移住」したいわけではない私にとって「地域活性化の仕事で生きていくかどうか」は悩ましいテーマであり、補助のない状態で二拠点生活を送るのは難しいと感じていた理由もそこにありました。専門職として本業できちんと稼げる自信がつき、結果的に地域活性化のテーマや鹿児島と良い関係を築けるようになったのだろうと思います。

二拠点生活で得たキャリアの気づき

合わせて、私の場合は二拠点生活を通じてお金とは違う形の「対価」を得ていました。その対価とは、例えば新しいコミュニティや、すでに述べたようなキャリア選択の判断軸、ライティングのような本業ではなかなかできない経験など。

将来的なキャリアの方向性は、現時点で固まっているわけではありません。でも、「UXリサーチ」という専門スキルを武器にキャリアを作ろうと心に決めたのは、二拠点生活があったからこそです。

あらゆる可能性を持ったまま、二拠点生活と向き合えば、思わぬ形でキャリアの気づきが得られるのかもしれません。

コロナ禍で移動しづらくなった状況もあいまって、現在は地域活性化プロジェクトにあまり関われていませんが、またいろんな地域を行き来ができる状況に戻ったら、甑島はもちろん、今度は違う地域にも関わってみたい。そう思っています。

松薗美帆さんと甑島

松薗美帆

1991年、鹿児島県生まれ。国際基督教大学卒業後、2014年にリクルートジョブズへ新卒入社。HR領域のデジタルマーケティング、プロダクトマネージャーを経て、UXリサーチチームの立ち上げを経験。2019年よりメルペイにUXリサーチャーとして参画。北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)博士前期課程に在学中。

(MEETS CAREER編集部)

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