自分の趣味や好きなことを「副業」にしたいと思いながらも、本業とうまくバランスが取れるのか心配という人は少なくないと思います。
都内の大学病院にて、がんの研究員として働く愛さんは、2014年頃から副業として平日の夜や週末の時間を利用してフォトグラファーの仕事をスタート。一見すると異色の組み合わせに思えますが、研究員の仕事が写真にも大いに生かされているといいます。
Instagramのフォロワーが5万人を超えるなど、大きな支持を集める愛さん。これまでの兼業生活を振り返っていただきながら、本業と副業の幸福な関係を維持するためにどのような工夫をしてきたのかをお話しいただきました。
好きで始めた「写真」が副業になった理由
――愛さんは、研究員とフォトグラファーの兼業生活を5年以上にわたって続けられているんですよね。それぞれの領域で、どんなお仕事をされているんでしょうか。
愛さん(以下、愛):本業では、大学病院の研究員として大腸がんや膵がんといった消化器がんの研究をしています。主に正常な細胞が大腸がんになっていく遺伝子的なメカニズムを研究したり、薬の開発をしたりしています。
副業のフォトグラファーとしては、商品やモデルの方の撮影を中心に、旅行系メディアのアンバサダーとしても活動しています。ただ、いまはコロナ禍で施設外などで家族以外の人と会ってはいけないという職場のルールがあるので、自宅でできる撮影のみお受けしています。
――それぞれのお仕事の時間配分はどのようにされているんですか?
愛:私の研究の場合はがん細胞を使用するので、細胞が増えるスパンに合わせるような形で実験のスケジュールも1週間ごとに立てています。だいたい平日の朝から18時頃までは研究をおこない、写真の仕事はそれ以外の時間か土日を利用しています。
――なるほど。大学病院に入られてからはもう長いんですか?
愛:今年でちょうど10年目になります。大学院を卒業した直後はいちど製薬会社に入ったんですが、自分の好きな研究があまりできない環境だったこともあり、向いてないなと感じて1年くらいで辞めてしまって。ちょうどその頃に、趣味で始めた一眼レフの写真をインターネット上にアップするようになったんです。当初はmixiのコミュニティで写真仲間の人たちと交流していたんですが、Instagramがリリースされてからはそっちにも写真を投稿するようになりました。
――10年前といえば、Instagramのサービスが開始された直後ですよね。もともと、いつかはフォトグラファーとして活動したいと考えられていたんでしょうか?
愛:いえいえ! 写真を仕事にしたいなんて考えたこともありませんでした。ただ、10年前はまだ、一眼レフで撮った写真をわざわざInstagramにあげる人自体がそこまで多くなかったんです。なので謙遜ではなく、ちょっとでも綺麗な写真がアップされれば注目してもらえる空気があって、それが楽しかったんですよね。
投稿を続けていくうちに、いいね数やフォロワー数が徐々に増えていき、2014年頃にフランスのドンペリから英語でDMが届いたんです。「あなたの世界観が好きだから、写真を撮ってくれないか」と。絶対に怪しいと思ったんですけど、周りにも相談してみて、別にお金が振り込まれなくてもドンペリがもらえるならいいやと思ってお受けしたら、本当に振り込まれた(笑)。それが副業として写真の仕事をする一つのきっかけになりました。
――いきなり世界的な企業から依頼が届くというのはすごいですね。写真はどのように勉強されたのですか?
愛:写真学校などにも通っていないので、写真に詳しい友人に技術を教えてもらったり、本を読んだりしてすこしずつ覚えていきました。
私の写真ってけっこうキラキラしているので、どんな機材を使っているんですかってたまに聞いていただくこともあるんですが、身近なものを使うことが多いんです。例えば幻想的な雰囲気の写真が撮りたいときは、ペットボトルに水を半分入れてレンズの前に置くことで光を散らしたり、キラキラした素材のビニール傘を利用したり。実はプロの方が使うような大きな機材ってほとんど持っていなくて、レフ板も使ったことないんです。
――えっ、そうなんですか!?
愛:そうなんです、前にプロの方にお話ししたら驚かれました(笑)。だから、技術的には素人同然だと思っていますし、プロのカメラマンの方とは全然別物だと思っています。もともと旅先で写真を撮ることが多くて、そこでいかに少ない小道具を使って綺麗な光を作るかを考えた末に、オリジナルな撮り方が身に付いていったのかもしれません。
無関係のように見える本業の知見が、副業に生きることも
――がん研究とフォトグラファーのお仕事は、一見すると意外な組み合わせに思えます。両立するなかで相互に影響などはあったりしますか。
愛:実は、研究員と両立しているからこそ今の撮影スタイルができたと思っています。研究の仕事では医学論文を書くんですが、論文って図にしてもデータにしても、見やすさが第一なんですよ。文章もできるだけ無駄を削ぎ落とし、ぱっと見ただけで内容が理解できるようなものを目指して書くんです。
だから写真に関しても、見る方がどう思うかは分かりませんが、同じようにメッセージが明確で、無駄のない作品作りをしようとは常に思っていて。色を統一したり、つい目に留まるような配色や配置にするといったことが最初から意識できたのは、間違いなく論文を書き慣れていたからだと思います。それに論文の図は基本的にIllustratorで作成していたので、Adobe製品を使いこなせる素地もありましたし。
――論文の執筆と写真撮影にそんな共通点があったとは……! 本業のスキルが撮影に役立つ場面って、ほかにもあったりしますか?
愛:以前、キヤノンさん主催の写真教室でプレゼンする機会を頂いたことがあったんですが、そのための資料を作っているときに、本業の資料作りと基本的には同じだなと思いましたね。研究発表でもPowerPointを使ってプレゼンするので、領域は違えどそこは変わらないんだなと。
あと、私はどうやら撮影の時間がものすごく短いみたいなんですが、それにも本業が影響している気がします。例えば海外旅行での撮影の場合、Uberなどのタクシーを利用して撮影予定地をグルッと回るんですが、1か所にだいたい10分もいないんじゃないかな……。
――えっ、そんなに一瞬で撮られてるんですか!
愛:そうなんです(笑)。撮るのは一瞬なんですが、事前にネットや本で現地の情報を調べまくって、旅行本が1冊できるくらい綿密な計画を立てるんですよ。旅の撮影に限らず、「○分以内で自由に撮ってください」というご依頼もわりとあるので、部屋が暗かった場合はこうしようとかこのレンズが合わなかった場合はこっちにしようとか、予想外のことが起きる可能性を前もって何パターンも考えてから撮影に臨んでいます。
――それもやはり、本業の研究で培ったものなんですか。
愛:そこは完全にそうですね。どんな仕事においても予想通りにいかないことって多々起こると思うんですが、研究や実験でも同じで、予想外の結果になることのほうが多いくらいなんです。だからこそ事前に綿密な計画を立てるのが非常に重要で、例えば15分の実験でも1時間はかけて事前準備をします。特に医学研究においては貴重な細胞や高価な薬を使うこともあるので、ミスはできるだけ事前に防ぐ必要があるんです。
――なるほど……。会社員として働いていると、同じくきちんと計画を立てることが求められることも多いと思うのですが、医学研究をされる方には特に重要な部分なんですね。
愛:なかなか身に付かないから教授が怒るんですけどね(笑)。でも、研究職として日々計画的に実験などを行っていくにつれて、しっかりと計画を立てたら怖いものはないと思えるようにはなったかもしれません。その考え方が撮影を行ううえでも生かされていることは間違いないと思います。
あくまでも本業優先。副業だから写真を好きでい続けられる
――綿密な計画ありきのお仕事ということですが、具体的なスケジュール管理についてもお伺いしたいです。例えば、どうしても本業でイレギュラーな業務が発生することもあると思うのですが、そうしたときには副業とのバランスをどのように調整されているんでしょうか?
愛:実は、計画を立てる段階で「一つの実験の際に何かミスが起きたらこっちの実験に変えよう」ということも組み込んでいるので、本業は時間内に収まることがほとんどですね。もともと少し余裕を持って時間を設定しているのもあると思うんですけど。
――なるほど、事前にミスも織り込んでおくわけですね。写真のお仕事に関しても同じようにしっかりと計画を立てられているとのことでしたが、それは具体的にどういった形で行われているのでしょうか。
愛:職場までの通勤時間が1時間弱くらいあるので、撮影する写真のイメージを固める作業は往復の2時間で終わらせるようにしています。基本的には天気予報を見て撮影の日を決めておいて、その当日までに参考になりそうな写真やイラストなどを集め、PowerPointに貼りつけたり、不安であれば事前にクライアントさんにそのイメージを共有して確認したりしておく、という感じです。
――スキマ時間にそこまでされるのですね。では、副業で思いのほか時間がかかってしまって本業の時間を調整する……といったこともあまりありませんか?
愛:撮影に関しては、本業に支障をきたしてしまいそうなご依頼はすべてお断りするようにしているのでないですね。本業の隙間にできる仕事だけを受ける、というスタイルを当初から徹底しているので、受けたいけれど時間がない……という悩み方をすることはありません。
――ご自身のキャパシティを把握されていらっしゃるからこそですね。ほかにお仕事を受けるうえでの基準はありますか。
愛:自分の作風を生かせたり、好きと言ってくださったりするクライアントの依頼を積極的にお受けするようにしています。偉そうに聞こえるかもしれませんが、もともと好きでやっていたものが仕事につながった形なので、今も好きだからやっているという気持ちが強いんです。
だからフォトグラファーだけを仕事にしたいと思ったことはなくて。そもそも自分のなかにそれほどの技術がないというのもあるんですけど、もし写真一本だとすると、生活のために自分のやりたくない仕事まで受けなければならないかもしれないですよね。私の場合は、今の本業と副業というバランスだからこそ、写真を好きでい続けられているんじゃないかなと思います。
周囲の人たちと信頼関係を築き、副業を応援してもらうには
――愛さんは本業に支障をきたしそうな副業は受けないことを徹底されているとのことでしたが、本業の同僚や家族など、周囲の方は最初から兼業を応援してくれていましたか?
愛:幸い周囲の人たちは応援してくれる人ばかりでしたが、やはり本業をきっちりこなして成果を出してこそ兼業の基盤ができるとは思うので、私の場合もいまの環境になるまでには数年かかりました。家族や同僚にコソコソ隠れて副業をするのではなく、どんな仕事をしているかの情報をちゃんと共有し、信頼関係を築くための努力は必要かなと思います。
――愛さんの場合、職場の方と信頼関係を築くためにどのようなことを意識されましたか?
愛:チームで働く人として当然のことかもしれませんが、ほかの人の仕事を手伝ったり、困っている人がいたら絶対に助けるといったことは欠かさないようにしていました。
あとはちょっとしたことですが、副業のことを職場の人にも知ってもらうためにも、医療系の写真撮影のご依頼があったときは、モデル料をお支払いしたうえで白衣を着た同僚にモデルになってもらったりとか。自分が何をしてるのか知ってもらえると、自然と応援してくださる人も増えるんじゃないかなと思います。今ではたまに「モデルの仕事ないの?」と聞かれたりすることもあります(笑)
――素晴らしい関係性ですね。ちなみに兼業生活を続けるうえでは、日々のリフレッシュも大事なのかなと思うのですが、愛さんの場合は何かありますか?
愛:やっぱり写真が好きなので、撮影の時間そのものが一つのリフレッシュではありますね。あと、2年前に東京から茅ヶ崎に引っ越してきたんですが、海がすぐ近くにあるので、家族と犬を連れて海沿いを散歩したり、海に入れる時期にはボディーボードをしたりしています。
引っ越してくる前は通勤時間が長くなるのがマイナスかなと思っていたんですが、いざこっちに来たら生活によりメリハリがついた気がしています。電車が止まったら帰れなくなっちゃうので、天気が悪い日はとにかく早めに仕事を終わらせて帰ろうと割り切れるようになったりとか(笑)。
――最後に、今、趣味をきっかけに副業やパラレルワークをしたいと考えている人も少なくないと思います。そういった方に、愛さん流のアドバイスがもしあれば教えていただけますか。
愛:やっぱり、何より大事なのは「これがやりたい」「これが好き」という気持ちなんじゃないかと思います。私の場合も研究や写真の仕事が続けられている原動力は何かと考えると、結局どちらも好きだから辞めたくない、というところに行き着くので。だから、これをやりたいという覚悟を決めたら、あとはどういった自分になりたいか、仕事を通じてどんなことをしたいかという方向性をある程度決めてトライするだけだと思います。
取材・文:生湯葉シホ
写真提供:愛