自分の選んだ道は果たして正解なのか。時折、キャリアに対する不安が出てくるものの、なんだか自らの「失敗」を認めることにもつながるようで考えるのをやめてしまう。働き始めて数年が経ち、そんな経験をした人も少なくないのではないでしょうか。
新卒入社した大手エンタメ系企業を1年で辞め、ライターに転じた川代紗生さんは、20代のある時期まで自らの選択を”正解”にするためにひたすら努力を重ねてきたといいます。しかし、30歳を目前に控えた今、そのような「選んだ道を正解にしていこうとする戦略」は、ときに自らの本音と向き合うことを難しくすることもあると気づいたと綴ります。
現在、フラットにキャリアを考え直すためには、自らの選択をちゃんと「後悔」することも必要だと考えているという川代さん。どのように考え方の変化が起きたのか、執筆いただきました。
波紋を呼んだ同期の突然の退職
「いやー、これであいつの人生、終わったよな」と、彼はニヤリと笑いながら私に向かって言った。
なんのことを言ってるんだろう。まさか昨日、同期の女の子が仕事を辞めると言ったことが関係してるんじゃないよな、と疑問に思ったが、どうやら彼が言いたいのはまさにそういうことらしかった。
「え? 『人生終わった』ってどういう意味?」
「いやー、もう終わりでしょ。自分の夢を追いかけますって、俺なら絶対にやらないけどね」
「うわ、何それ、ひっど。せっかく夢につながる道が見つかったって言うんだからいいじゃん。応援してあげればいいのに」
「そうかねー。明らかにこっちの会社にいたほうが可能性広がるじゃん。ぶっちゃけあいつ、一時の感情で完全に選択ミスってんな、って思ったよ」
隣のデスクでキーボードを叩きながら、彼は独り言のようにそう言った。今から8年も前の話だ。
新入社員として入社してから1カ月経ったばかりの頃、同期の一人が突然、今月いっぱいで会社を辞めると言い出した。ずっとだめだと思って諦めてきた夢に繋がる道が、ようやく開けたのだという。
もちろん、会社からは随分と反対されたらしい。まあ、そりゃ当たり前だろう。何百万円ものお金をかけて採用したのに入社1カ月で辞められるなんて人事の人間からすればかなりの誤算だし、大損害だ。何度も会社に説得されたという。しかし、彼女の意思は固く結局サクッと会社を辞めてしまった。辞めると聞いてからいなくなるまで、本当にあっという間だった。最後に会った日、眩しい笑顔で去っていった彼女は、「私がいるべき場所はここじゃないって気づいたから」とでも宣言しているかのように見えた。
同期のあいだではほんの少し、波紋が広がった。表面上は彼女のことを応援しつつも、内心では複雑な思いを抱えていたのだ。いや、それだとちょっと語弊があるな。「冷めた目で見ていた」というほうが正しいかもしれない。隣のデスクの彼ほどはっきりと「選択ミス」と言っていたわけじゃないけれど、将来が約束されたように見えていた大手企業の安定ルートを捨て、「入社1カ月で転職」というレッテルが付くリスクを冒してまで不安定な道を選んだ彼女のことを見下していた人間は、おそらく一人ではなかったと思う。
しかし私は、そうやって冷めた目で見ている同期達を横目に、むしろ焦りを感じていた。「まあ、人には人の人生があるからね」と気にしないふりをして、彼女を気持ちよく送り出している風を装いながらも、心の中はざわざわと波打っていた。
自分の本音を押し殺していた新卒時代
私が新卒で入社したのは数千人の社員を抱える書店・エンタメ系の大手企業で、本や雑誌・雑貨など、国内外から魅力的な商品を集めて発信するというのが主な仕事だった。
リアル店舗でのプロモーション企画からWEBメディアの運営までさまざまな事業に取り組んでいて、可能性は無限にあるように見えた。自由な社風で社員の声に耳を傾け、部署や今後のキャリアプランについてもなるべく本人の希望に配慮する方針だった。子供の頃から本が大好きで、たくさんの作品に触れられる環境で働きたいと思っていた私にとって、そこはうってつけの場所に見えた。きっとここで少しずつ実績を積んでいけば、私のやりたい仕事ができる。いい会社に内定が決まってよかったと、ホッとしていた。
……というのはあくまでも建前でしかなく、心の奥底のほうでは、ずっとモヤモヤとした感情を抱え続けていた。「私にとってうってつけの場所」だなんて、嘘だった。本当はもっとやりたいことがあるくせに、そっちの道に思い切って飛び込む勇気がないから、自分の本音を押し殺して「ここが『正解』の場所なんだ」と言い聞かせていただけだった。
本当は、書く仕事がしたかった。大学生の頃に始めたブログが思いのほかヒットし、多くの人に自分の文章を読んでもらうという経験をしていた私は、心の底ではライターになりたいと思っていた。人の心をもっともっと揺さぶる文章を書きたい。自分の好きなことで仕事がしたい。そう思っていた。
もちろん、その気になれば、ライターになる道なんていくらでもあった。編集プロダクションに入る、プロのライターに見習いをさせてもらう、フリーのライターとして活動を始める。別に就職なんてしなくたって、自分の頭できちんと考えてルートを探せば、夢を叶える方法なんていくらでも思いついたはずだったのだ。私自身、それは重々承知していた。
でも結局、私は「大企業の社員」というステータスを選んだ。きちんとした会社に入らずに一人でやっていけるほど、できた人間じゃないことも十分、理解していた。
入社後も怖かった。もし今からでもやりたいことを選んだとして、失敗してしまったら。頭の中で、「あいつの人生終わったよな」という同期の声がこだました。どうしよう。怖くてたまらない。どう足掻いても「やっぱり前のほうがよかったじゃん」と思ってしまうような気がして、どうしてもその先の一歩を踏み出すことができなかったのだ。
どんな選択も「正解にしてしまえばいい」と思っていた20代
結局、私が退社を決断したのは入社してから一年後のことだった。いや、決断しただなんて言えるようなものではなかったと思う。なかなか踏ん切りがつかないまま働き続けていた私に、学生時代にアルバイトをしていた書店の社長が「ライターとして働かないか」と、声をかけてくれたのだ。もともとブログを書き始めたのもその書店の発信活動の一環だったこともあり、「楽しく働いていた」時期の記憶が、私の脳裏にふわっと蘇った。
「うちはまだまだ小さい会社で、これまでも社長の僕とアルバイトだけで回してきた。でも、これからはこの会社をもっと大きくしていきたい。そのために、川代の文章力が必要だ」
夢みたいだ、と私は舞い上がった。社長と新しい社員数名のベンチャー企業。裁量が大きく、たくさん書ける仕事。どんな企画ができるかは自分次第。この一年、やりたいこともよく分からず、特に大きな結果も出せないまま大きな会社の一部としてぼんやり働いていた私にとって、これは自分の人生を変えるチャンスだと思った。もしかしたら、誰かが背中を押してくれるタイミングをずっと待っていたのかもしれない。思い切って新しい場所に飛び出すためのきっかけがほしいと感じていた時にやってきたオファーだった。これは運命かもしれない、なんて思ったりもした。
とはいえ、できたてホヤホヤのベンチャー企業での仕事は、想像以上に大変だった。ライターの仕事も任せてもらえたが、何しろ社員をきちんと雇うのが初めての会社なのだ。大企業のように人事評価のシステムが整っているわけでもなければ、問題が起きた時、それを解決する方法を誰かが懇切丁寧に教えてくれるわけでもない。
責任はすべて自分に跳ね返ってきたし、あまりにも仕事ができない自分自身に愕然とした。日々失敗の連続で、社長にも同僚にも取引先にもお客さんにも迷惑をかけてばかりだった。お金を稼ぐことの厳しさを思い知らされた。少しでも役に立てる人間になれるようにと、毎日とにかく働き続けた。そうして20代のうちの大半がめまぐるしく過ぎていった。
けれどそれでも、不思議と「この道を選ばなければよかった」と思ったことは一度もなかった。
いつだったか、誰かに聞かれたことがある。この道を選んで本当に正解だったのかなと、不安になることはありませんか。本当にその選択肢でよかったのかと思いませんか。私はいつも、どちらの道が正解なのか分からなくなって、選べなくてつい立ち止まってしまうんです、と。
そのときの答えは一つで、私はいつもこう答えていた。
「重要なのはどの道を選ぶかではなくて、自分が選んだ道が、自分にとって『正解だった』と思えるよういかに努力できるか、なんだと思います。結局、幸せな人というのはどんな選択でも『正解だった』と言えるような努力を常にしている人や、正解だった理由を作れる人なんじゃないでしょうか」
自分の選択を後悔したらどうしよう、ではない。後悔しないように努力すればいいだけのこと。そう信じていた。成功するまで繰り返し努力し続ければ、それは失敗のうちには入らないじゃないか、と。
大企業を辞めてまで自分のやりたいことにチャレンジしている、夢を追いかけられているという自負もあったのだと思う。あまりの忙しさにプライベートの時間も減り、友人ともどんどん疎遠になっていったが、私は特に気にしていなかった。これも自分が選んだ道なのだから、ある程度の犠牲もしょうがない。
そんな風に自分に言い聞かせ続けて、気づけば私は、29歳になっていた。まさか、20代で培ってきたこの哲学が崩壊する日が来るとは、まったく想像もしていなかった。
30歳を目前に生まれたキャリアへの焦燥感
29歳になった今、私はフリーランスのライターとして活動している。もといたベンチャー企業の仕事も請け負いながら、より一層書く仕事に力を入れているところだ。
それはまさに、私が新入社員の頃、夢見ていた姿そのものだった。私は夢を叶え、自分のやりたいことをやりたいように全うできているのだ。
そう、できている、はずだった。夢見ていたキラキラした人生が手に入っているはずだった。
なのにどうして、29歳の私は今、こんなにも強い違和感を抱いているのだろう。ざわり、ざわりとちょっとした違和感が心を撫でるようになったのは、ついこの間、大学時代の友人の結婚式に参加した時のことだった。
表参道の厳かな披露宴会場はたくさんの花々で彩られ、プロの演奏家が大きなハープを弾いていた。こだわり抜かれた食事は繊細で美しく、テーブルコーディネートまで素晴らしい仕上がりだった。
ファーストフード店で夜通し喋り明かしたり、課題が終わらないとギャーギャー言いながら図書館へ一緒に通ったりした新郎の彼が、大勢の人たちの前で堂々とスピーチをしていた。懐かしい顔ぶれも揃っており、さながら同窓会のようになっていた。
みんな思い思いに自分の話をする。今、何の仕事してるの? 商社の営業だよ。あたしはマーケティング。海外出張が多くてさ、結構大変で……。
その時急に、ぞわりと鳥肌が、立つ。まるで時が止まったかのように感じた。そして一つの考えが、私の頭の中に、浮かぶ。
私の選んだ道って本当に、本当に、「正解」だったのかな?
披露宴の会場で立派に自分の役目を成し遂げた友人らの仕事の話を聞いているうちに、それまで経験したことのない不安に襲われ、急に心臓の奥がギュッと痛くなっていくのを感じた。
自分の本音と向き合い、「後悔」を「後悔」のまま受け止める
結婚式のあと、私は自分自身とじっくりと向き合う時間を1カ月ほど取ることにした。そのために、面接を受ける予定はないけれど、試しに履歴書のたたき台を作ってみることにしたのだ。
そこで思いつく限り自分のやってきたこと、やらないできたことを振り返ってみた時、私は結婚式で感じた強烈なざわめきの正体に、ようやっと辿り着いた。
ああ、そうか。あそこにあった彼らの姿は、私が「否定してきた未来」であり、「逃げてきた未来」だったんだ。
もちろん、ライターになったこと自体に後悔はない。けれどライターになってからの私は、自分の選択を正解にするために必死だった。だから、口にこそ出さないまでも、新卒ですぐに辞めた彼女を批判していたあの彼のように、私は大きな企業でキャリアを積み重ねる他人の選択を否定し、見ないようにしてきたのだと思う。
そんな彼らの選択の結果を、結婚式という場で目の当たりにした。そして、自分の心と向き合ってみると、今までに感じたこともないような奥底の欲求が、次から次へと溢れて、止まらなかった。
本当はもっと大きなチームで働いてもみたかったし、海外での仕事もしてみたかった。
私は自分の選択を正解にしたいと思うあまり、都度生じる「やりたい」という気持ちにも蓋をし続けてきたんだ。なぜなら、その本音と向き合うことは、自分のこれまでの選択を否定するようにすら思えたからだ。大きなチームで働きたいという気持ちを認めることは、小規模なチームで働いてきた自分のキャリアが間違いだったと認めるようで怖かった。
これまでの社会人人生のなかで、そんなふうに他人の選択を否定する人たちの姿を何度も見てきた。私たちは、「自分が選んだ道は間違っていた」と正直に認めるのがものすごく苦手なのだ。「あの時こうしていればよかった」なんて思いたくない。「それでも、あの出来事があったから今の私がある」と言ってしまいたい。でも、それは自分の本音に蓋をして、今選んでいる道を無理矢理にでも「正解」に近づけようとする辻褄合わせでしかないんだ。
改めて思う。キャリアの岐路に立つ私たちに重要なのは、辻褄合わせではなく、その都度の自分の本音に耳を傾け、過去の自分の選択に対する後悔の気持ちを「後悔」として受け止めることではないか。
だから私は、ライターとしてキャリアを重ねるなかで、大きなチームで働くために仲間を集めたり、海外で仕事をするために英語の勉強をしたりせずに、ただひたすら休みもなく、書くことだけを選択し続けたことに関しては、後悔していると受け止めてみようと思う。
後悔を受け止めることでスタートラインに立てた
最近、私はよく自分に問いかける。
「せっかくここまでやってきたのに」
「今さら後戻りできないから」
そういう気持ちから、辻褄合わせをして「現状維持でいい理由」を探し、自分の本音に蓋をしていないか? と。
よく「後悔しない選択を」と言うけれど、それは無理だ。どんな道を選んだって必ず多かれ少なかれ後悔はする。ふと「選ばなかった世界を生きる、パラレルワールドの自分」を想像して死にたくなる。そういう経験は誰にだってあるはずだ。1ミリも後悔がないというのはよっぽど自分に自信がある人だけだろう。
矛盾しているように見えるかもしれないが、私は「後悔している」という自分の気持ちを見つめ直すことで、よりフラットに自分のやりたいことと向き合えるようになった。
私は書くことが好きだ。ものすごく好きだ。それはきっとこれからも変わらないし、可能な限りフリーのライターとしての仕事も続けたいと思う。でもその一方で、チームで働くことが好きだという自分の本音にも、気が付くことができた。例えば、あらためて大企業への就職にチャレンジしてみるのも面白いかもしれない。あるいは、自分で編集プロダクションを立ち上げてみるというのも面白いだろう。元いたベンチャー企業をもっともっと大きくするために、何か新しいプロジェクトを立ち上げてみるのもいいかもしれない。色々な可能性が見えてきた。
キャリアの棚卸しをし、自分自身と真正面からしっかりと向き合った今、村上春樹が何かの本で書いていた、「30歳成人説」を思い出した。20歳までに自分のやりたいことを決めるなんて不可能で、30歳くらいまではいろいろな仕事をしてみて、それから自分の方向性を決めるのが一番いいんじゃないか、というものだ。
今は、彼の言わんとしていることがよく分かる。30歳という区切りの前に、後悔していること・していないことをはっきりと見極められてよかった。迷うことばかりだけれど、ようやくスタートラインに立てたような気がしている。
(MEETS CAREER編集部)