月曜日は肉料理、火曜日は魚料理、そして水曜日はコオロギ料理。
こんな風に一般家庭の献立が組まれる日も、そう遠くないのかもしれません。
今回ご登場いただく株式会社グリラス代表取締役社長の渡邉崇人さんは、世界的なタンパク質不足の解消を目指す「食用コオロギ」業界のゲームチェンジャー。良品計画と「コオロギせんべい」を共同開発したり、学校給食用に食用のコオロギパウダーを提供したり、現在もさまざまなアプローチで食用コオロギの生産・普及に努めています。
そんな渡邉さんは徳島大学で2006年にコオロギの研究を始め、のちに起業。当初、「大学の研究を存続させたい」という目的で始めたビジネスが、世界的な課題を解決に導くかもしれない一大事業として、いつしか国内外から大きな注目を集めるようになりました。
「コオロギが食生活の中で当たり前になる」とは一体どういうことなのか。渡邉さんのこれまでの歩みと昆虫食の未来を伺いました。
※取材はリモートで実施しました
「昆虫嫌い」が昆虫食ビジネスで起業するまで
──渡邉さんは、もともと徳島大学でコオロギの研究をされていたそうですね。
渡邉崇人さん(以下、渡邉):21歳の時にコオロギ(フタホシコオロギ)研究の第一人者である野地澄晴(のじ・すみはれ)先生のラボに入りました。
──もともとコオロギの研究がしたかったのですか?
渡邉:というよりは、生物の「形」がつくられるうえで遺伝子がどのように作用するのか、現在の形になるまでにどんな進化を遂げてきたのかに興味があって。
ただ、大学にコオロギ研究の泰斗である野地先生がいらっしゃったこともあって、自分の関心事をコオロギと結びつけたい、と考えるようになり、徐々に研究内容が固まっていきましたね。
余談ですが、こういうインタビューでよく「虫好きなんでしょ?」って言われるんですけど、僕、もともと嫌いなタイプの人間で(笑)。それに、コオロギに対して何かしらの思い入れがあったわけでもなかったんです。
──意外ですね……。大学卒業後はどんなキャリアを歩みましたか?
渡邉:そのまま大学院に進んで博士号をとり、ポスドク(博士号を取得後に大学や研究機関で任期制の職に就く研究者やそのポストのこと。ポストドクター)としてコオロギの基礎研究を続けていました。
そうして順調にアカデミア(大学や公的研究機関の研究職)のキャリアを歩む一方で、基礎生物学を取り巻く状況の「厳しさ」を徐々に感じ始めてもいました。
──「厳しい状況」とは?
渡邉:どの研究領域にも共通していると思いますが、国も企業も、社会の利益に直結するような“分かりやすい研究”に投資するので、昆虫の基礎研究に研究費がなかなか回ってこない。幸いなことに私自身はある程度の研究費を獲得できていましたが、それでもボスである野地先生の時代と比べると、ケタが2つ違いました。このままだと、私たちの研究は緩やかな死に向かっていくだけ。この状況をなんとか打開しなければダメだと考えるようになりましたね。
──その打開策が、食用コオロギの研究だったと。
渡邉:そうですね。コオロギ研究の社会的な有用性を示すことができれば、基礎生物学の研究を守れると考えました。そこで、2016年頃にコオロギの基礎研究から応用研究に軸足を移したんです。
──「食用」以外の切り口もあったのではないですか?
渡邉:食用コオロギに行き着いたのは、分かりやすく人や社会の役に立ち、なおかつ私たちが取り組んできたコオロギ研究の成果を存分に生かせるからです。
例えば、「魚の餌」としてコオロギを養殖するプロジェクトは存在しますが、社会へのインパクトや収益性を考えると、あまり広がりがありません。
それに、当時すでに昆虫、特にコオロギは新たなタンパク源として世界的に注目され始めており、欧米では昆虫食のベンチャーが立ち上がってベンチャー投資も活発に行われていました。研究の軸足を変えるにあたっては、そういう社会的背景もありました。
でも、食用コオロギの研究を始めた当初は、自分で事業を手掛けることまでは考えていませんでした。「この研究がいかに社会で役立つか」を大学から世間にアピールしながら、研究内容に興味を持った企業の方と協業できれば、と思っていたんです。
──そこから2019年の起業へ至るまで、どんな経緯があったのでしょうか?
渡邉:当時、月1〜2回のペースでさまざまな企業の新規事業担当者が研究室へ「情報収集」にいらっしゃっていました。
ところが、そこから具体的な商品化、事業化の話に全くつながっていかない。結局、多くの担当者は上から「新しい事業を探せ」と指示されているからやってきただけであって、事業化のモチベーションは高くないわけです。それに、担当者のモチベーションは高くても事業化しようとすると、横並び主義と前例主義に阻まれ、会社から「待った」がかかる、ということも少なくありませんでした。
やはり、誰もファーストペンギンにはなりたくないのだ、逆に誰もならないからドラマになるんだ、と実感しましたね。そこで、これは自分でやるしかないと、応用研究をスタートして4年目にグリラスを創業しました。
「おいしいコオロギ」をつくるテクノロジー
──とはいえ、大学の中から事業化の道筋を探る場合と起業する場合とでは、勝手も違うはずです。会社員経験がなかったからこそ、起業にあたって大変なことも多かったのでは?
渡邉:それが、大変さはあまり感じなかったんですよね。ビジネスの現場で「PDCAサイクルを回す」とよく言われますが、研究ってまさにその積み重ねでしかなくて。そういう意味では、研究と違う分野でPDCAを回すだけ、という認識でした。
それよりも、コオロギでビジネスをやると決意するのに大変な覚悟がいりました。起業後も、イロモノなんじゃないか、一時的にしか売れないんじゃないか、ヒット商品を出したら出したで「今がピークなんじゃないか」と思われるだろう、と考えながら仕事に向き合っていましたから。
──そもそも、勝機はあったのでしょうか。先ほど、欧米で昆虫食ベンチャーが次々立ち上がっていた、と紹介されていましたが、なぜコオロギに商品化の可能性を見出したのか、もう少し詳しく教えていただけますか?
渡邉:コオロギが牛や豚よりも圧倒的に少量の餌で、より効率的に育てられるタンパク源だからです。
世界的な人口増加と途上国の経済発展により動物性タンパク質の需要は年を追うごとに高まっていますが、牛や豚などの家畜を育てる穀物の供給がそれに追いついていません。穀物の供給量の増加はすでに鈍化しているんです。また、牛のゲップが温室効果ガスの増加につながるという新たな問題も生まれています。こんな状況で、牛や豚の飼育頭数を増やすのは、あまり持続的ではありませんね。
一方でコオロギは、1kgのタンパク質を生み出すのに必要な餌や水の量が畜肉と比べて圧倒的に少なく済むんです。さらには、育つのが早く、飼育しやすく、餌の制限も少ない。
そのうえ、体のサイズも昆虫の中では大きく、タンパク質以外の栄養素も豊富に含むなど、食材として大きな可能性を秘めています。
──実際に食用コオロギを「生産」するにあたっては、どんな課題があるのですか?
渡邉:飼育体制の整備ですね。私たちのミッションはコオロギを「当たり前の食材」として社会に定着させることです。そのためにはまず、低コストで安定的に大量生産できる体制をつくる必要がありますが、従来行われてきた手作業での飼育は生産コストが高過ぎる。
そこで、私たちはグリラス独自の「ゲノム編集技術」を応用して、コオロギの高度な品種改良を進めています。
──ゲノム編集技術を応用した品種改良とは、どのようなものでしょうか?
渡邉:コオロギのゲノム編集は、徳島大学が約30年にわたる研究で確立させた技術で、簡単に言えば、DNAの一部をピンポイントで変異させ、従来の品種改良よりも短期間でより目的に即した改良を実現するものです。平たく言えば、より食用に適したコオロギをつくる技術です。
──つまり、よりおいしくするような品種改良も可能、ということですか?
渡邉:そうですね、例えばコオロギに元来含まれている苦味成分をなくす、といったことは可能です。
ただ、それも重要なアプローチなのですが、最優先で進めているのはコオロギならではの“ネガティブな要素”を取り除くことです。
──「苦味」よりもネガティブな要素がある、と。
渡邉:色もその一つですね。黒い食品は食欲が刺激されづらいんです。実際、一般的なスーパーでも、チョコレートやイカスミ、ゴマなどいくつか思い浮かびますが、他の色の食品と比べるとそれほど多くないですよね。
コオロギをパウダー状にして小麦粉と混ぜたら黒くなってしまうのでは、やっぱり売れないでしょう。そのためにまず「色を変える」ための品種改良に取り組んでいます。
また、コオロギには甲殻類(えび・かに)アレルギーを発症する可能性のある成分が含まれています。えびやかには基本的に海で暮らす「虫」なので、コオロギにもそれらと同じ成分が含まれるのは当然です。
現在もコオロギを使った食品のパッケージではアレルギー表示をしていますが、今後、コンビニやスーパーなどでコオロギを広く展開した時に、アレルギー成分を含むとは気付かずに食べてしまう人が出てきてしまうかもしれません。そこで、低アレルゲンのコオロギをつくり、より多くの人に味わってもらいたいと考えています。
──ゲノム編集技術を用いて生産性を向上させることもできるのでしょうか?
渡邉:そうですね。ネガティブな要素を除去したうえで、より早く大きく育つ個体や、コオロギ特有の「共食い」をしない個体をつくることもできるでしょう。また、ゆくゆくはより人の健康に役立つ成分を含んだコオロギも実現できるかもしれません。
──そこまでできるなら、極論コオロギのサイズを大きくしたり、タンパク質の量を増やしたりすればより効率的なのでは?
渡邉:実はそれが結構難しくて。なぜなら、そうするともはや生き物として成り立たなくなってしまうからです。外骨格であるコオロギの体の中を筋肉でミッチミチの状態にすると、血管が詰まりますから。
──なるほど。とはいえ、コオロギが想像以上に大きな可能性を秘めた食材だということは十分に分かりました。
渡邉:ただ、そうした改良が実現しても、世の中に商品として出すタイミングは慎重に検討しなければいけないと思います。現状、コオロギを食べるというだけで心理的ハードルが高いのに、品種改良したものとなればなおさら抵抗感があるでしょうから。
──たしかに。「人工的」なニュアンスに安全性を懸念したり、忌避感を覚えてしまう人も多いかもしれませんね。
渡邉:イノシシと豚の関係を想像してみてください。実は、この二つの生き物は種としては同じなんです。豚はイノシシの品種改良によって生まれた、イノシシの一品種に過ぎませんから。
でも、イノシシと豚では、当然ながら子供の数や肉のつき具合が全然違う。お米やトマト、ナスなどにも言えますが、そういう食味や生産性の向上を目的とした品種改良は色々な種で行われていますから、私たちのビジネスにも畜産業や農業で活用されていたテクノロジーやサイエンスの力を適切に使っていきたいです。
牛肉、豚肉、鶏肉の並びに「コオロギ」の選択肢をつくりたい
──とはいえ、現代の日本では昆虫食に抵抗を抱く人もまだまだ多いと思います。消費者の心理的ハードルを下げるために、どんなアプローチが必要でしょうか?
渡邉:大事なのは、食用コオロギの価値を認めてくれる企業を増やし、商品化につなげていくことです。
コオロギのビジネスを展開する私たちが、コオロギの素晴らしさをいくら説いてもなかなか伝わりづらい。でも、誰もが知る企業からコオロギを使った食品が数多く売り出されれば、消費者の安心感、信頼感も醸成されていくはずです。
そうして心理的なハードルが下がれば、新しいもの、食べたことのないものって逆に試してみたくなると思うんです。
──その意味では、2020年に良品計画と共同開発の「コオロギせんべい」を全国の無印良品で発売したことは、ターニングポイントになったのではないでしょうか。
渡邉:そうですね。コオロギせんべいの発売以来、私たちやコオロギに対する世間の目も大きく変わったと感じます。「あの無印がコオロギの食品を出した」ということで、一気に安心感が生まれた。その空気は食品業界にも一気に広がり、企業からのお問い合わせも増えました。
そもそも、良品計画さんからはグリラスを創業する直前にお話をいただいていて。最初はいつもの「情報収集」かと思ったのですが、これまでに来られたどの企業よりも商品化に対する本気度が高く、打ち合わせにも決裁権のある方が同席されていましたし、発売までの大まかなスケジュールも見えていた。その熱量に心打たれて、ぜひご一緒したいと思いました。
──今後もさまざまな企業との協業を予定しているのでしょうか。
渡邉:はい。ただ、当然ながら商品化さえできれば何でもアリというわけではありません。コオロギをゲテモノやイロモノとして扱うのは、我々の本意ではありません。ネタ食材ではなく、次世代の新しい食材として広げていくことが重要だと考えています。
──その先に、グリラスのミッションの一つである「コオロギが生活の中で当たり前になる未来」がやってくると。
渡邉:そうですね。でも、そう聞くと「コオロギしか食べられない未来に変えたいの?」と不安を抱く人もいると思うのですが、そこは目指していません。
あくまで、牛肉や豚肉、鶏肉といった従来の選択肢のなかにコオロギが当たり前に加わるようになることこそが大事で、最も健全だと考えています。例えば、日本人の20%が週に1度、コオロギ入りの加工食品を食べるようになる。そんなイメージですね。それだけでも、現在の肉食需要を減らすうえで大きなインパクトになりますから。
──たしかに、そこまで市民権が広がった暁には、業界構造だけでなく消費者の意識も変わっていそうですね。まずは、スーパーに食材としてコオロギが並ぶようなところまで持っていく必要があるでしょうか。
渡邉:それは当面の大きな目標の一つですね。例えば、スーパーの冷凍コーナーに、パウダーではなく個体のコオロギが食材として陳列されているような状態になればと。もちろん、そこへ至るまでの道のりは長く険しい。先ほど説明したような生産技術の改良と並行して、消費者の心理的ハードルをじっくりと下げていくことが重要です。
だから、まずは「食べた時に違和感を抱かせないパウダー状の食品」から広げ、いずれはコオロギとしての味わいや個性を強く感じられるような商品を出せるといいのかなと思います。
新しいものを食べて違和感があると、違和感=まずいに変換されてしまいがちなんです。まずいことを覚悟(期待)して食べる人も多いですからね。だから「あれ? コオロギだけど普通じゃん」という味に仕上げることを意識しています。
ちなみに無印のコオロギせんべいは例外で、コオロギの味を前面に出しました(笑)。あれは無印のブランド力を活用した「次のステップ」の商品なんです。
──ちなみに、ここまでお話を伺っておいて今さらなのですが……そもそもコオロギっておいしいのでしょうか?
渡邉:おいしいですよ。それに、加工の仕方によって味が変わる、面白い食材なんです。例えば、フレッシュなコオロギを素揚げすると、殻の柔らかいサワガニのような食感や味わいが楽しめます。茹でるとトウモロコシっぽい風味になりますし、コオロギでとった出汁は海の香りがする。本当に不思議な食材だと思います。料理人の方々からも新しい食材として高評価をいただいていますし、今後はコオロギを使ったレシピなども発信できるといいですね。
──少し食べてみたくなりました。では最後に、今後の事業の展望や、グリラスが目指す未来についてお聞かせください。
渡邉:「世界的なタンパク質不足」を解決するには、コオロギ商品をスピーディーに世界中へ届けていかなければなりません。国内で一般化するのを待ってから海外展開するのではなく、日本でビジネスの基盤を作ると同時に海外事業の道筋をつけたいですね。
また、大学発のスタートアップの強みである研究体制を最大限生かすために、そして当初の目標としていた「基礎生物学の研究を守る」ために、食用以外の用途も見据えた基礎研究・応用研究を続ける必要があります。そのために私は、アカデミアに籍を置き続ける、というキャリア選択をしました。
社会課題を思わぬ形で解決するかもしれないコオロギの可能性を、これからもいろいろな形で追求していきたいですね。
(MEETS CAREER編集部)
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)