順番待ちはもうやめた。「やりたい仕事」のために自ら働きかける元人事のコピーライター阿部広太郎

阿部広太郎さんトップ画像

撮影:エリザベス宮地

<プロフィール>
阿部広太郎 1986年生まれ。埼玉県出身。2008年、株式会社電通に入社し、2年目よりコピーライターの道へ。映画『アイスと雨音』などのプロデュースや、向井太一「FLY」の作詞など、言葉を軸に幅広く活動を行っている。「企画でメシを食っていく」主宰。著書に『待っていても、はじまらない。-潔く前に進め』(弘文堂)『コピーライターじゃなくても知っておきたい 心をつかむ超言葉術』(ダイヤモンド社)がある。


「MEETS CAREER」では多様な選択肢の中で自分らしい生き方を選んだ方々の言葉を集め、「はじめの一歩」を踏み出すきっかけをお届けしています。今回のテーマは「会社の中でやりたいことを実現する方法」

幾度の面接を突破し、ようやく入社したと思えば遭遇するのが「配属ガチャ」。あまり興味のない部署に配属され頑張ってみたものの、やりたい仕事との差に悩んでいたり、転職や独立など会社の外に意識が向き始めていたり、これからのキャリアにモヤモヤしている人も多いと思います。

阿部広太郎さんは、「今でしょ!」が話題になった東進ハイスクールのCM「生徒への檄文」篇の制作に携わったり、映画『アイスと雨音』『君が君で君だ』のプロデューサーを務めるなど、さまざまな領域で言葉を駆使した活動を続ける気鋭のコピーライター。当初、第3希望に空欄を埋めるためだけに書いた人事局にまさかの配属をされるも、心の底からやりたいこととしてコピーライターを目指し、クリエーティブ局に異動した経験の持ち主です。

クリエーティブ局へ異動するための試験に合格すべく猛勉強を始めてからも、指導を仰いだ先輩に「向いていない」と宣告されるなど、辛酸を嘗め続ける日々を過ごしました。過去、配属ガチャに苦しんだ方と類似の悩みを抱えながらも、それを乗り越えてきた阿部さんに、どのようにやりたい仕事をものにしてきたのか、お話を伺いました。

「君は営業だよね」を覆し、畑違いのコピーライターへ

── 現在はコピーライターとして活躍されていますが、最初に配属されたのは人事だったと伺いました。改めて、入社当時のことを教えていただけますか。

阿部広太郎さん(以下、阿部):入社して配属希望を出す時に、希望の部署を3つまで書くことができたんですけど、当時は営業にいきたいと思っていました。ただ、営業で活躍する人は、その前にメディア担当として経験を積んでおくのがいわゆるキャリアの王道なんだと先輩から聞いていたんです。僕もそのとおりに、いつか営業に行くことを見据えて、第1希望「新聞局」、第2希望「テレビ局」と書いたんです。

しかし、結果的に配属されたのは第3希望の「人事局」。正直言うと第1、第2希望以外は特に考えていなくて、空欄を埋めるような気持ちで書いただけだったので、「マジか!」と思いました(笑)。

【MEETSCAREER(ミーツキャリア)】阿部広太郎さんインタビュー画像1

── 当初は営業志望だったんですね。そこからクリエーティブ職に気持ちが移ったきっかけは何だったのでしょうか?

阿部:2008年に「電通インターンシップ Summer Challenge」という、学生の皆さんに広告の仕事を体験してもらうインターンをやることになり、僕がアテンドを担当しました。最終日、課題に取り組む学生たち一人ひとりのプレゼンがあるんです。そこで発表される企画が、聞き手の心を奪っていく姿を目撃して、とてつもなく羨ましくなりました。僕は後ろで、ビデオ係としてその姿を記録しながら、学生たちに嫉妬したんですね。

── そこで初めて、心からやりたいと思える仕事が明確になったと。

阿部:そうです、自分もあっち側にいきたい! と。就活時のOB訪問で、大学でアメリカンフットボールをやってて、体が大きい僕を見て、会う人会う人に「君は営業だよね」と言われてたんですよね。僕もその道に進むのが自然な道だととらえていましたし、まさか自分がクリエーティブの部署に行くなんて思いもしなかったんです。

でも、内心は企画やアイデアを考える仕事に惹かれていたんでしょうね。学生たちのプレゼンが終わるたびに沸き起こる拍手の音が自分の本音を叩き起こしていくようで、そのあとすぐに行動を起こしました。

── 具体的には、どんな行動を起こしたんですか?

阿部:クリエーティブ局に異動するためには、年に1度のクリエーティブ試験を通過する必要があります。ただ、その時点で既に試験までは4カ月ほどでした。

大事なのは、どんな試験なのかを知り、どう対策をするのかだなと。なので、まずは前年のクリエーティブ試験に受かった先輩に内容を聞かせてもらったんです。そこで大まかな試験の構成を知ったあと、インターンの講師も担当されていた大先輩のクリエーティブディレクター(以下、CD)に相談しました。インターンシップ後の打ち上げで「自分の人生に感動できるような仕事がしたい。クリエーティブ試験に受かりたいので課題を出していただけませんか?」とお願いしたんです。

── 大胆ですね。でも、当時の阿部さんの熱意が伝わってきます。

阿部:はい、頼れる人は全部頼ろうと思っていましたから。また、会社の下にある本屋で『広告コピー年鑑』を買いました。2万円くらいする分厚い本で、その年の優れたコピーと解説が載っています。そんなに高い本を買うのは人生で初めてだったので、財布から現金を出した時の記憶は生々しく残っていますね。

── 先人たちの優れたコピーを徹底的に研究したわけですね。

阿部:「良いコピーとは何か?」という物差しが自分の中になければ良いコピーは書けません。コピー年鑑に収録されているのは、幾千という広告のなかから選ばれたものばかり。ですから、年鑑をめくって自分がピンときたコピーをクロッキー帳に書き写し、時間さえあれば何度も読み返していました。なぜ自分はこのコピーを良いと思ったのか、自問自答して心を見つめ直すような作業でしたね。

クロッキー帳の画像
当時、使っていたというクロッキー帳

一人で応募総数2,223本。「量」から「質」を生む勝ち方

── とはいえ、当然人事局の業務もあるわけですよね。新卒でまだ仕事にも慣れないなか、CDからの課題にも向き合うというのは、かなりハードな日々だったのではないですか?

阿部:CDからは2週に1度くらいの頻度で課題を出していただき、書いたコピーについてランチタイムに講評をいただいていました。今思えば本当に贅沢な時間でしたが、おっしゃるとおり平日の日中は人事の業務があるので、夜や土日にひたすらコピーを考えるという日々でした。

── CDの評価はどうでしたか?

阿部:いやあ……あまり良い評価はいただけませんでした。毎回30本のコピーに対して○△×で評価してもらうのですが、ほぼ△と×で、○は1つか2つもらえればいいほう。正直、手応えはまったく感じられませんでした。試験の1カ月くらい前には「君には(コピーライターは)向いていないかもね」という趣旨の宣告も受けました。

── それはかなり重い言葉ですね……。心が折れても仕方ない。

阿部:そうですね。確かに、心にズシンときました。ただ、それは「摩擦」が起きているということですよね。学生時代から考えても、これまでの自分とはまったく関係ない世界に足を踏み入れて、そこでジタバタしていると。だから、ある意味では当たり前というか、あがいていることの証拠でもある。

それに現時点で厳しいというのは「おっしゃるとおりです」と思いつつも、どこかで可能性はあるんじゃないかと考えている自分もいました。CDの「向いていない」という評価は「これまで」の自分を見た上での判断であって、「これから」の自分次第で変わっていけるんじゃないかと。まあ、強がりです。テストまでの残り1カ月、やれることは全部やろう。それでもダメだったら、その時にまたどうするか考えればいいや、と。

── その後も課題に取り組み続けるなかで、何か変化はありましたか。

阿部:気づいたのは、自分にはまだ「狙って」良いコピーを書ける能力は備わっていないということ。自分ではイマイチだと思っていたコピーを褒められることもあれば、自信作のコピーがまるで評価されないこともありましたから。だったら、まずは恥ずかしがらずに、ひたすら書くしかない。誰よりも多くのコピーを書き続けた「量」の中からしか、「質」は生まれないんじゃないかと思うようになりました。

デスク引き出しの写真
デスクの引き出しには、宣伝会議賞の作品を収めた書籍が詰め込まれていた

── 本番のクリエーティブ試験でも、とにかく書きまくったそうですね。

阿部:試験のお題は「時間内に10本以上のコピーを書く」というものでしたが、僕は会場にいる誰よりも多く提出するぞと決めていました。わざわざ10本「以上」としているのはなぜかと考えた時に、この試験は単に良いコピーを書くだけではなく、やる気や本気度もちゃんと見てくれようとしているんじゃないかなと思ったんです。誰よりも書けば目立てるかもしれない、いやきっと見つけてもらえるはずだと。試験が終わった頃には、削りたての鉛筆がまん丸になっていました(笑)。

── お題の意図を考えたわけですね。その後、無事にコピーライターになってからも膨大な量のコピーを書いていたと伺いました。広告コピーのコンテストである宣伝会議賞*1にも、相当な数を応募されたと。

阿部:本数を稼ぐことが目的になると意味がありませんが、おもしろがりながら模索し続けた量は質に反映されていくはずじゃないかと。そんな思いから、宣伝会議賞に出すコピーの数も年々増えていきましたね。コピーライター1年目の応募数は約200本、2年目は約1,800本、3年目は2,223本。3年目は段ボールひと箱分のコピーを送り終わった後、いてもたってもいられず24時間開いている郵便局の小さな机に向かって、有効期限ギリギリの23時59分までコピーを書いていました。

── とてつもない熱量……。結果的に阿部さんは宣伝会議賞の協賛企業賞を受賞し、さらにコピーライターの登竜門である東京コピーライターズクラブの新人賞にも輝くわけですが、そこまでとことんやり切れば、たとえ結果が伴わなくても納得できそうな気がします。

阿部:実はクリエーティブ試験の面接のとき、「3年で結果が出なかったら(クリエーティブ局から)出してもらって構いません」と言って、自分で期限を決めていたところがあったんです。だから必死になれた。「面白いことを考えているやつが、ここにいますよ!」「気づいてください!」と祈るような気持ちで机に向かってました。

正直、郵便局でギリギリまで書いていたコピーなんて1つも審査を通過していないと思います(笑)。自分の気持ちにどこまで誠実に向き合えるか、できることを最後まで本気でやることが大事なんじゃないかと考えていました。

“使命感”で自ら書いた企画書から「仕事」が生まれた

── コピーライターになって無事に丸3年が経った頃には、自分が本気でやりたいことを自ら「企画書」にまとめるようになったそうですね。例えば、居酒屋「甘太郎」のキャンペーン広告の企画書を“勝手に”作って送ったところ、実際の仕事につながったと伺いました。

阿部:甘太郎が2012年に「名前に『太郎』が付く人を割引します」というキャンペーンを始めたんですが、なんだか「広太郎」という自分の名前を呼びかけてもらえたような気がして心が躍ったんです。だから、純粋にこの試みをもっと広めたい、盛り上げたいなと。

そこで、誰に頼まれたわけでもありませんが、1週間ほどかけて感謝と愛情を込めた企画書をまとめ、FacebookにPDFを添付して先方に送ってみました。そうしたら結果的にこの企画書が役員の方にも届き、甘太郎だけでなくグループ全店で行う全国的なキャンペーンにつながったんです。しかも、その後また別の新しいキャンペーンを行う際には、仕事として依頼いただいて、担当できることになりました。

甘太郎「太郎割」のキャンペーンビジュアル
甘太郎「太郎割」のキャンペーンビジュアル

── 自分がうれしいと思った気持ちが発端となって企画書が生まれ、それが仕事につながって相手も喜んでくれる。仕事の醍醐味が詰まったエピソードですね。

阿部:若手の頃って、なかなか大きな仕事や自分がやりたい仕事は回ってきませんよね。僕自身も「何のために頑張っているんだろう」と分からなくなったことがありました。だからもう、いい仕事が回ってくる「順番待ち」の長い列に並ぶのはやめて、自分から働き掛けようと考えたんです。実際、甘太郎に贈る企画書が仕事につながったことで、「アクションを起こせば届くんだ!」という手応えを得られましたし、大切な経験になりました。

── 広告業界に限らず、会社でやりたいことができない、意に沿わない仕事で消耗しているという人は少なくないと思います。ただ、阿部さんのように自らアクションを起こすことで、その状況を打開できるかもしれません。

阿部:その可能性は高まると思います。今よりもっとおもしろい仕事がしたい、自分はもっとできるはずだと思うなら、自分の中の偽りのない使命感をエネルギーにして、何でもいいんです、これまでの自分をはみだしてみるのがいいと思います。以前、会社の先輩から、仕事は4つに分けられると教わったことがあります。

=【MEETSCAREER(ミーツキャリア)】仕事の分類マトリクスの画像

  • 義務の仕事:不自由で予算が大きい仕事
  • 毒の仕事:不自由で予算が少ない仕事
  • 大御所の仕事:自由で予算が大きい仕事
  • 自分(チャンス)の仕事:自由で予算が少ない仕事

まず「義務の仕事」は会社員の義務として取り組まなくてはならない仕事です。大型案件で実入りは大きいものの、調整に追われることも多いのが特徴です。

「毒の仕事」は自由度も予算もなく、苦しい場面の多い仕事です。ほどよくやることで仕事の耐性はつくものの、ほどほどにしないとしんどくなっていきます。

「大御所の仕事」は自由度も予算もあって最も恵まれていますが、名前のとおりすでに実績があり、名前の売れている大御所に相談がいくことが多い領域の仕事で、若手にはなかなか回ってきません。

そして、最後が「自分の仕事」。ここにチャンスが広がってるんじゃないかなと思っていて、僕にとっての甘太郎の企画書がこれにあたります。自由度が高く、気分も上がる。でも、予算はない。

そのため、業務外の時間を使うなどして取り組む必要はありますし、決して無理してやることでもないのですが、惹かれる好きな人や会社に自分から繋がりにいくことで、想像もしないことが起こり得る。やっぱり、関係性の中にこそ「仕事」は生まれると思うんです。

約束エネルギーで自分を動かしていく

── 会社ではやりたいことができないと、フリーランスや起業の道を選ぶ人もいます。一方で、組織にいるからこそ得られるものもあるのではないかと思います。会社員でありながら自分のやりたいことを模索してきた阿部さんは、会社に所属することの意義をどうとらえていますか?

阿部:会社にいる一番のメリットは、渦中にいられることだと思います。会社が大きければ大きいほどさまざまな人がいて、より多くの情報に触れることができますよね。それって、中にいることに慣れてしまうとなかなか気付けないことなんですが、実はとても価値があることだと考えてます。

── 勢いで会社を飛び出し、後悔するなんてケースもありそうです。

阿部:うーん、どうなんでしょうね。飛び出すエネルギーはすごいですし、時に後悔もするから自分の選択を正解にしようという力が湧くとも思うんです。

ただ、会社に所属していても、いい意味で焦りたいです。だから今の状況が当たり前じゃないと認識するために、あえて会社以外の場に出ていき、話を聞くことも大事だと思います。僕自身も広告業界を超えて、できるだけ多様な方とコミュニケーションをとるようにしています。すると、自分が今いる環境のいい点や、逆にネガティブな点も見えてくる。それらを取捨選択したうえで、どんな道を選ぶかだと思いますね。

=【MEETSCAREER(ミーツキャリア)】阿部広太郎さんインタビュー画像2

── 先に関係性の中で仕事が生まれるというお話もありましたけど、コミュニケーションを取るうえで意識されていることはありますか?

阿部:先程、社内外の方とコミュニケーションをとるようにしていると言ったのですが、それは人脈をつくろうと言いたい訳ではないんです。僕の場合、社会人一年目、二年目の頃はマスコミ同期の飲み会などに頻繁に行っていたのですが、あるときまずはちゃんと自己紹介できる自分を育てないと、いくら人と会ったとしても、脈打つものがないと感じたんです。それから一時期は、付き合いを断って、とにかくコピーや企画の勉強にあけくれてました。

そのうえで、人と接する時に僕が大切だと思うのは、斜に構えないことです。相手が好きだったり、尊敬している相手ならば自分の中のキラキラした気持ちに照れない。甘太郎の例もそうですが、もし相手のことを素晴らしいと思っているのであれば、それをちゃんと伝えてあげた方が関係性が始まっていくんじゃないかなと。

── 最後に、なかなかやりたいことに踏み出せない人たちに向け、メッセージをいただけますか?

阿部:最もお伝えしたいのは、自分の中の衝動を信じてあげてほしいということです。やりたいことがあるけど、できていない。そうした心の叫びに対し、聞こえないフリをせず、まずは自分の中にどんな志があるかを見つけ、言葉にしてみること。

そして、それができたら、次は社内でも社外でもいいので、その言葉を誰かに伝えてみる。すると、一度ZOOMで話してみようとか、誰かとの間に約束が生まれますよね。人間ですから、誰でも行動するのが億劫になることはあります。だけどそんな時、「約束エネルギー」が自分を動かす推進力になってくれるのではないでしょうか。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)

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*1:月刊「宣伝会議」が主催する、公募広告賞。コピーライターの登竜門として50年以上の歴史がある