青木源太が同期・桝太一と最強「シンメ」になれた理由

青木源太さんトップ画像

<プロフィール>
青木源太さん 1983年生まれ、愛知県岡崎市出身。慶応義塾大学文学部卒業後、日本テレビに入社。スポーツ実況や情報番組などを担当し、2015年に情報番組『PON!』、2018年に『バゲット』のMCを務める。2020年に日本テレビを退社、同年10月からフリーアナウンサーへ転身。大のジャニーズファンでもある。

同期の活躍を見て「あの人には追いつけない」と自信を失ったり、「なんであの人ばかり……」と比較したりした経験はありますか?

社会に出て数年たつと、最初は横並びに見えた同期の間に「差」が生まれてきます。その「差」は仕事のモチベーションにつながることもあれば、悩みのタネになることもあるでしょう。

青木源太さんには日テレ時代、入社6年目で人気番組に抜擢された桝太一さんという“エース級の同期”がいました。桝さんと自分を比べて悩んだことはなかったという青木さん。その理由を伺いました。

「勝負のタイミング」は、思いのほか早くやってきた

――今回のインタビューテーマは「同期との付き合い方」ですが、青木さんの同期といえば、日テレの桝太一アナウンサーですよね。

青木源太さん(以下、青木):桝くんとは仕事のこともプライベートのことも、なんでも話せる仲です。2004年に日テレの内定者として知り合ってから、かれこれ17年ほどの付き合いですね。入社後も彼と僕はずっと一緒にいました。それこそ、上司に「同じ班にすると成長できない」と判断されて、別々の現場に割り振られたほど(笑)。

青木源太さん記事内写真

――では、桝さんとはよき友人でありながら「ライバル」でもある、という意識はあまりなかったですか?

青木:そうですね……ライバルと感じたことはあまりないけれど、意識するタイミングはやっぱりありました。今でも忘れられない2011年の春。朝の情報番組『ZIP!』の総合司会に桝くんが大抜擢されたんですよね。『ZIP!』のような情報番組の司会って、歴史をさかのぼれば徳光(和夫)さんや福留(功男)さん、福澤(朗)さん、羽鳥(慎一)さんといったエースアナウンサーが担当してきた枠。スタジオアナウンサーを目指す者なら誰もが憧れる立ち位置ですが、彼は入社わずか6年目でそのポジションに収まった。

――当時はやっぱり、悔しい! という思いでしたか?

青木:正直に言うと、悔しさよりも驚きが大きかったし、桝くんもそれは同じだったと思います。彼自身は当時「スポーツアナウンサーとして大成したい」という意向を持っていましたから。 実際、慣れない現場は大変だったようで、はたから見て「いっぱいいっぱいだな」と感じることも最初はありました。それでもコツコツと努力を重ね、結果的に、会社が起こしたビッグウェーブを乗りこなしてしまった。僕は正直、彼と勝負のタイミングが来るとしても、ずっと先だと思っていたので、こんなに早く差をつけられるなんて、とただびっくりしていました。

――焦りや悔しさよりも驚きを感じた、と。でも若い頃って、同期が大きな仕事を任されると、「自分は会社に期待されてないんじゃないか」と必要以上に焦りがちですよね。その仕事で同期が目覚ましい成果を上げれば尚更。青木さんはなぜ焦らなかったんですか?

青木:桝くんが実力と運を両方兼ね備えていた、としか思えなかったんですよね。サラリーマンであれば、多かれ少なかれ経験があると思いますが、会社はときどき大きな波を起こしてくれる。もちろん、その波に乗れるかどうかは本人の実力と運次第です。

実際、アナウンサーの仕事って座学や研修以上に、番組で喋る=場数を踏むことがとても大事ですが、彼は『ZIP!』や他の現場での経験を通じて、めきめきと実力をつけていきました。「人は自分のキャパを少しだけオーバーするくらいの仕事に取り組んだほうが成長する」というのは、当時の彼を見ていて強く実感したことです。

人間は、人と自分を比べる生き物だけれど

――とても落ち着いた振る舞いですよね。でも、社会人数年目の頃であれば、必要以上に自分と比べ、劣等感を覚えてしまうこともあるように思うんです。

青木:隣の芝生が青く見えることもありましたが、元来「確固たる自分」を持っておきたい性格なので、自分を見失うところまではいかなかったかもしれません。

でも、一般論として、人間って人と自分を比べてしまう生き物ですよね。他人の影響も受けるし、時には誰かに嫉妬することもあるでしょう、だから、他人を意識するのではなく、他人の強みやポジションを把握して相対的に自分の位置を把握する、と認識すればいいんじゃないでしょうか。

――その考えは、自分を追い詰めないためにも大切ですね。青木さんは同期の皆さんとの違いを把握したうえで、どのように自分を差別化していましたか?

青木:僕にとっては、SNSがその一つでしたね。今でこそ局アナがTwitterやInstagramのアカウントを持つのはごく普通ですが、3年ほど前までは誰もやってなかったんですよね。だから僕は会社に企画書を出して、2018年に日テレのアナウンサーの中で初めて公式のSNSを始めました。上司には「なぜテレビ以外の発信方法が必要なの?」と聞かれましたが、「テレビとSNSではリーチできる層がまったく違うんです」と何度も説明しました。

やっぱり、桝くんのようなアナウンサーが日テレのセンターラインにいるとしたら、僕がいるのはサイドラインなんです。そのサイドラインをどうやって駆け上がるか考えた時、サイドラインだからこそ新たな領域にどんどんチャレンジすべきだろうな、と。

青木源太さん記事内写真2

おとなしく待っていても、仕事はこない

――とはいえ、新たな領域にチャレンジして成功するのは簡単じゃないと思います。それこそ、実力と運の両方を兼ね備えていなければ。チャレンジといえば、桝さんが『ZIP!』の総合司会に抜擢された翌年の2012年、青木さんは上司との面談で「スポーツ実況の現場を降りて、今後は情報番組やバラエティ番組を担当したい」という意向を伝えたそうですね。

青木:はい。スポーツ中継を入社時から続けてきて、ちょうど面白さや奥深さも分かってきた頃だったのですが、僕は情報番組やバラエティ番組のスタジオ進行がやりたいという思いで日テレの門を叩いた人間です。だから、原点に立ち返り、やっぱりそこで勝負がしたかった。入社7年目にさしかかり、自分の立ち位置や今後のキャリアを考える余裕が生まれてきていたのもありますし、同期の桝くんの活躍を目にしたことで改めて初心を思い出したのも大きいです。

――でも、情報番組のMCって何年も同じ方が務めるイメージですが、希望したからといって、そんなにすぐ仕事が回ってくるものなんでしょうか……?

青木:そう、おっしゃる通り、通例だと一人のアナウンサーが5年、10年続ける仕事なんですよね。……もちろん、自分には向こう数年回ってこないだろうな、というのはその時点でなんとなく分かっていました。それでも面談で自分の意思を伝えたのは、このままおとなしく待っていても、一生担当することはないだろうと思ったからです。伝えるのに勇気はいりましたけどね。

――そのときの上司の方の反応はどうだったんでしょう?

青木:すごく驚かれました。意思は尊重してくれたのですが、「もしスタジオ(情報番組やバラエティ)の仕事で声が掛からなければ、他の部署に異動の可能性があるけど、それでも大丈夫?」とは確認されました。働き方改革の波が来ていたこともあり、どちらもメインで担当するのは難しかったんですよね。だから覚悟を決めて、「異動の可能性があってもいいので、スタジオの仕事がやりたいです」と念押ししました。

青木源太さん記事内写真3

――結果的に青木さんは2015年、情報番組『PON!』のMCに抜擢されます。

青木:先輩の羽鳥さんには「タイムテーブルでは並んでるけど(桝くんよりも)周回遅れだからな」と冗談交じりで言われましたけどね(笑)。とはいえ、桝くんに後ろ暗い感情を持つことは一切なかったです。それは、彼が自分の活躍を鼻にかけたり天狗になったりすることなく僕に接してくれたおかげかもしれません。

――昨年日テレを退社し、芸能事務所というこれまでとは違った環境に飛び込まれました。フリーの道を選んだのも、そのチャレンジの一つだったのでしょうか。

青木:そうですね。アナウンサーとしてキャリアを積めば、原稿に書かれた文章を正確に分かりやすく読むこと自体は、どんな人でもある程度できるようになると思います。もちろん、そういった仕事で手を抜かないのも大切ですが、一方で自分にしかできないことができた時に得られる達成感もあると思うので。フリーになってからは、以前一緒にお仕事をした方から再びオファーをいただく時が一番うれしいです。

――まったく違う環境に飛び込むうえで、戸惑いはありませんでしたか?

青木:ありがたいことに事務所の皆さんは優しい方ばかりで、事務所に入った後戸惑うことは少なかったです。強いて言うなら、退社前は日テレ時代の同期と離れ離れになるのがやはり寂しかったです。覚悟もできていたのですが、何度か後ろ髪を引かれました。

青木アナと桝アナの絆をつないだもの

――そもそも桝さんと、ここまで仲良くなられたきっかけは何だったんですか?

青木:新人時代、怒られたり失敗したりするたびに、お互い傷をなめ合っていたんですよね。以前、社内でちょっと理不尽だなと感じる出来事があった時、「この状況は甘んじて受け入れるとしても、せめて後輩に同じ思いをさせるのはやめよう」と二人で話し合ったことがあって。今振り返ると、それが絆を深めたきっかけかもしれません、若干の吊り橋効果もあったというか(笑)。しんどいことがあった翌日にも元気に出社できたのは、やっぱり桝くんがいたからだと思います。

……あ、そうだ。日テレ入社前には、箱根駅伝のコース(東京から箱根)を二人で歩いたんですよ。

――ということは、東京から箱根まで……!?

青木:100kmくらいあるのですが、イメージトレーニングも兼ねて歩いてみようと。3日間に分けて踏破する計画を立てていました。そんな話を内定者同士の食事会で初対面の桝くんにしたら、「僕も行きたい」と言われて。じゃあ、「◯日の朝7時に大手町集合ね」と。

――初対面でそんな約束を……! 初対面で「僕も行きたい」と言い出せるのもすごいですよね。

青木:よく考えてみると、一度しか会ったことのない人と100km歩くっておかしいですよね。実際、日が近づくにつれ不安になって、前日は決行するかしないかめちゃくちゃ悩んだんです(笑)。万一嫌な人だったらどうしよう、と……。でも当日歩き始めたら、まったく会話が止まらず、箱根までの道のりですっかり仲良くなっちゃって。 そもそも、桝くんはなんで「行きたい」って言ったんでしょうね。

そのイベント以来、彼とはずっと友達ですね、喧嘩をしたことはないし、物事の捉え方や価値観もすごく似てる。だから僕は彼と「シンメ*1」だって言い合ってます。唯一違うのは、彼は広島ファンで僕は巨人ファンっていうことくらい。

――最後に心温まるエピソードをありがとうございました。

青木:ありがとうございました。(おもむろにスマホを取り出し)……あ、ごめん太一くん、いま一瞬大丈夫? あのさ、入社前、僕が太一くんに箱根まで歩くって言った時のことを覚えてる? あのとき太一くんが「俺も行く」って言ったじゃん、あれはなんで? ……なるほど。えっ、同じことを考えてた? 太一くんも歩こうと思ってたの? 本当に?

青木源太さん記事内写真4

(スマホを置いて)……桝くん、「行こう」って言った後すごく後悔してたみたいです。会ったこともないやつと10時間歩くなんて無理だ、最悪途中で離脱しようと思ったって(笑)。でも歩き始めて、こいつとは一生の友達になれると思ったそうです(笑)。僕は途中で離脱するなんて思いもしなかったのに!

取材・文:生湯葉シホ
撮影:小野奈那子

今日の学びをTwitter(X)にメモ(読了メモ)

このエントリーをはてなブックマークに追加

*1:シンメトリーの略。主にジャニーズファンの間で使われ、ステージ上で左右対称の位置で踊るメンバー同士のことや、同じパフォーマンスをすることで生まれるメンバー同士の信頼関係や空気感、距離感などの意味合いで用いられることが多い。