いつかは地元に戻ることを視野に入れているものの、そもそも地元に仕事はあるのか、自分の能力がどこまで通用するのか不安。そんな人は少なくないのではないでしょうか。
北海道大樹町のロケット開発会社で働く中神美佳さんは、将来的に地元で働くことを視野に入れながらも、まずは東京で就職活動を行いました。その後、社会人6年目の頃に念願のUターンを果たしますが、数年後に自分の実力不足を痛感。再び東京の企業でも働き、現在は二度目のUターンを経て、地元企業で働くという稀有な経歴の持ち主です。
地元で働くために、それまでにやってきた仕事で培ったスキルをベースに柔軟なキャリアを選択されてきた中神さんは、その都度どのように自身の仕事やスキルと向き合ってこられたのでしょうか。これまでの歩みを振り返っていただきました。
はじめまして、中神美佳と言います。わたしは北海道大樹町という人口5,500人ほどの小さな町で、ロケット開発会社・インターステラテクノロジズのBizDev/PR担当をしています。
そんな小さな町にロケット開発会社?と不思議に思った方もいるかもしれませんが、大樹町は35年ほど前から「宇宙のまちづくり」を掲げ、JAXAや民間企業、大学の航空宇宙実験を誘致している、ちょっとおもしろい街なんです。
私はこの大樹町で生まれ育ち、大学進学を機に上京。6年ほど前に地元に帰ってきたいわゆる「Uターン」勢なのですが、じつは3年前にも地元を出て東京で働いていた時期があるので、Uターンは二度経験しています。一時は憧れの二拠点生活を実現するも体調を崩してしまうなど、かなり紆余曲折ありましたが、現在は地元で充実した生活を送っています。
そこで今回は、自身の二度のUターン経験を振り返りながら、私がどのように自分のキャリアやスキルと向き合ってきたのか、Uターンや移住を検討している人に向け、お伝えしようと思います。
もちろん経験を積むなかで新しく身に付けたスキルもありますが、東京時代に培ったスキルが生きたところも多いので、もしも地方移住や二拠点生活に興味はあっても今のスキルが生きるのか不安を抱いている人がいれば、参考の1つになれば幸いです。
Uターンのきっかけは「田舎の良さだけ吸い取っている」ような罪悪感
Uターンと言うと、もともと地元愛が強かったと思われるかもしれませんが、昔はそんなことはありませんでした。10代のときはむしろ、雑誌に載っているようなおしゃれなお店も全然ないし、こんな田舎早く出たいなあ、新宿とか渋谷みたいな都会にあこがれるなあ……とずっと思っていました。実際、大学進学を機に上京してからしばらくは、念願の東京生活を楽しんでいたと思います。
ただ、大学4年生のときに考えがすこし変わります。祖母が体調を崩し、久しぶりに帰省した地元を歩いていたら、自分が思っていた以上に、街に活気がなくなっていることに気づいたんです。そのときふと、たまに帰ってきてはデトックスのように都会の疲れを吐き出し、自然豊かで食べ物もおいしくて……みたいな田舎のいいところを享受するだけでいいのだろうか、と疑問が湧きました。私みたいな若者がそうやって街を消費する裏で、地元に残っている親世代の人たちが、どうにか街を維持しようと頑張っているんだよなと。
すでに東京の企業から内定も出ていた時期だったので、いますぐにとはいかないけれど、「東京でスキルを身に付けて、いずれは地元のために働きたいな」とそこで初めて思いました。
就職先は自動車メーカーのマーケティング部門。最初の数年間は目の前の仕事にがむしゃらに取り組みました。地元に戻ることを本格的に考え始めたのは入社5年目。上司との面談のとき、「今後この会社でなにがやりたいのか?」という質問に答えが出せなくなっている自分に気が付いたのです。
大手企業で安定した環境で仕事に取り組める一方、自動車は世界中で販売するので、そのお客さんの大半は会ったことがない人たち。大企業ではどんどん中途入社の人も入ってくるので、自分の替わりはいくらでもいる。もっと顔の見える関係性で手触りのある仕事がしたい、替えのきかない仕事にチャレンジしたいと考えるようになり、改めて地元で働くことにちゃんと向き合うことにしました。
試しに地元のプロジェクトに関わることで「自信」が生まれる
Uターンや地方移住を考えている人の多くは、地元(地方)に仕事はあるのか、それまで培ってきた自分の能力を生かせるのか、ということが気になると思います。私も同じだったので、まずは同じ会社のなかで地元に関する活動をしていた先輩に相談するところから始めました。
すると、その先輩は同じ出身地同士の人で集まるイベントを紹介してくれました。そこに参加しているうち、同郷の知り合いが増え、また別の飲み会にも誘ってくれるようになり、次第に私も企画運営側に回るようになりました。徐々に小規模ながら地元・北海道の企業と簡単なプロジェクトも一緒にやらせてもらえるようになり、この経験が移住に対する気持ちを大きく高めてくれたと感じています。
それまで具体的にイメージできていなかったところ、「あ、意外とこれまでの仕事で培ったスキルは通用するな」と小さな自信を持つことができるようになったからです。いきなりの移住にハードルを感じる人は、このように身近な人に頼ってみたり、気になる人がいるのであれば、SNSを通じてコンタクトを取ったりして話すと、解像度が上がるのでいい方法だと思います。
また、私が地元で最初に取り組むことになる地域おこし協力隊という仕事も、イベントを通じて北海道の市役所で働いている方を紹介していただいたのがきっかけ。その方に、「これまでの仕事のスキルを生かして地元のために働きたいという思いがあるなら、地域おこし協力隊がいいんじゃないか」と提案してもらったのです。
地域おこし協力隊の条件は自治体によってさまざまですが、大樹町の場合はありがたいことにかなり柔軟でした。一緒に協力隊になろうと誘ってくれた方がすごく制度に詳しいという幸運も幸いし、一緒に自分たちの要望を役所の方にプレゼンした結果、フリーミッションで、週4勤務副業もOKという形に落ち着き、2015年に一度目のUターンを果たすことになりました。
意外なビジネススキルも生きた一度目のUターン
いざ地元に戻り、実際に地域おこし協力隊に着任してからは、本当にいろいろな仕事をさせてもらいました。
移住促進のためのニーズ調査やWebメディアの運営、地元のお土産の企画開発やふるさと納税関連の仕事など、フリーミッションならではの多彩な仕事を任せていただき、前職で身に付けたマーケティングのスキルをしっかり生かすことができました。
加えて、1年目の終わりには、地元大樹町で会社を試しに立ち上げて仕事を受けてみたりもし始め、自分で自分の働く環境をつくりあげていくことの重要性を感じました。
こうした考えにつながったのは、当時出会った人のほかに、『ナリワイをつくる: 人生を盗まれない働き方』という本の影響もあると思います。それまで企業でしか働いたことがなかったので、漠然とひとつの仕事ですべて稼がなきゃいけないと思い込んでいたんですが、複数の仕事を組み合わせて稼ぐという生き方もあると知ることができたのは大きかったなと思います。
また、個人的に新鮮だったのは、会議の議事録をとってすぐに共有するとか、プロジェクトのスケジュールを細かく切るとか、いわゆる一般的なビジネススキルも場所によっては重宝してもらえるということです。
新卒で入社した会社では、多くの部署で一つのプロジェクトを推進するためロール&レスポンシビリティーという考え方が浸透していて、仕事において役割や責任の所在の明確化が非常に大切にされていたのですが、地元に戻ってみると、思ったよりもふわっとしたスケジュール感や役割分担で仕事が進んでいるケースも少なくありませんでした(もちろん現場によるとは思いますが)。
私にとっては一見当たり前のように思えるスキルも、場所によっては生かせるのだということも発見でした。
スキルの切り売り? 実力不足を痛感し、再び東京へ
ただ、充実した毎日を送りながらも、3年目に差しかかったあたりで、なんとなく閉塞感を覚えるようにもなりました。地元の方々から頼ってもらえることも増えたし、仕事ももらえている。けど、マーケティングや調査分析、企画開発という自分の専門領域に関して前職からどれだけ成長しただろうか? と自分に問いかけてみたときに、素直に頷けない気がするなと。当時の自分のスキルやアウトプットに対して、私自身が納得できていなかったんです。
ときどき東京の人と仕事で話すことがあると、自分の想像をガンガン超えるようなアイデアが出てきたりする。徐々に、もう一度都会で学び直してから地元に帰ってきたい……という気持ちが大きくなっていきました。
当然、これにはめちゃくちゃ悩みました。また戻ってくるつもりであるとは言え、「中神さん、この街をどうにかしたいってあんなに言ってたのに、結局都会がいいんだね」と周りに言われるかもしれない。さらには、夫も転職し、私の地元に一緒に来てくれていたので、東京に戻るとしたら夫をひとりで地元に置いていくことになる……。
最終的に、月に一度は地元に帰ってきて夫と一緒に過ごすことを決め、周りには「また地元に戻ってきます」ときちんと説明したうえで、転職活動をして、東京のスマイルズという会社に広報として入ることになりました。今思えばそんなこともないのですが、あと数年経ってしまったら、自分のスキルはもう都会では通用しないかも、という怖さで二度と東京に行けなくなるような気がしたことも大きかったです。
スマイルズを選んだのは、地域おこし協力隊での仕事の経験から、なんでも幅広く経験できるスタートアップ的なマインドが近かったのと、クリエイティブ部門を備えていた会社だったため企画開発の力が養われそうだったこと、そして何より一緒に働きたいと強く思える方がいたから。何をやるかも大切ですが、誰とやるか、どんなチームかというのも大切でした。入社した会社では広報未経験にも関わらず、取材や講演対応からイベントの企画運営、クライアントワークなどいろいろやらせていただきました。
特に印象に残っているのは、会社の運営するレストランのブランディングの一環としてレストランの隣に子どもたちと一緒に公園をつくるという仕事。当然、全くの未経験でしたがなんとか形になり、こうした経験の積み重ねが「意外と何でもチャレンジできるんだな」というどこで働くうえでも大切なマインドセットをつくってくれたと思います。
ただ、すべてうまくいったわけではありません……。最初の1年は、平日はスタートアップで働き、週末は地元の仕事をやったり、ときには地元に帰ったりということを続けるなかで体調を崩してしまったんです。もともとUターンする前から二拠点生活には憧れが強く、ゆくゆくはそんな働き方もいいなと夢見ていたのですが、私にはそんな気力も体力もないなと気付きました。
その後は会社の厚意で「北海道支社」という位置づけで、社員として週4日、地元でのリモートワークという形で働かせてもらうことになり、二度目のUターンをしました。最終的に2年半ほどお世話になりましたが、自分の勝手な要望に柔軟に対応してくれた会社には感謝しかありませんし、今の会社での広報という仕事の下地をつくってくれたのもこのときの経験です。
もしかしたらUターンすると、もう都会に戻ってこられないという印象を持っている人もいるかもしれませんが、少なくとも私にとっては東京に戻ったことは今の仕事に非常に生かされています。
都会と地方で違う「働き方」と「スキル」
インターステラテクノロジズに転職したのは、2020年の秋です。以前からプロボノや業務委託などで関わっていたのですが、地元にふたたび帰ってきたことで、大樹町の未来を大きく変えてくれるかもしれないこの会社にフルコミットしてみたいという気持ちが強くなったんです。
私が二度のUターンで感じたことは、都会と地方では求められる業務の領域が少し異なること。例えば都市部ではそれぞれに専門職が割り当てられているような場合でも、地方だと人が少ないため、一人で周辺領域までカバーできることが求められることもあります。私自身は興味が広くて色々とやってみたい性分ですし、幅広く携われることが仕事に手触りを感じたり、スキルアップしたりすることにもつながっているので、やりがいをもって働いています。
ただ、そうはいっても、ひとりで抱え込みすぎてしまうと“なんでも屋さん”のようになり、疲れてしまう部分もあると思います。また、お願いできる場合は、当然専門家に頼んだ方が仕事の質は上がります。そういう意味では、プロジェクトに合わせてうまくチームを組めるようになることも大切だと感じます。
私の場合は、地域おこし協力隊の仕事を通じて、地元の方々と関係性をつくることができたのが大きかったです。地域の方々と関わる際には、はじめから「自分はこれしかやりたくありません」と突っ走ってしまうとなかなか地元の方に信頼してもらえないと思うので、いちばん最初は“自分ができることを周りにきちんと伝えて、お願いされたことを優先し、信頼してもらうための期間”だと捉えるといいんじゃないかなと思います。
移住は「ちょっと大きめの引っ越し」ぐらいのもの
最後に、いずれは地元に戻って働きたい、あるいは移住先で働いてみたいけれど、はじめの一歩をどうやって踏み出せばいいか分からない……という方がもしもこの記事を読んでくださっていたら、お伝えしたいのはやはりとにかく地方の案件に関わってみることです。
いまはローカルメディアもたくさんありますし、TwitterやInstagramなどでも地方の人と簡単につながれると思うので、その地域の面白そうな人や会社が見つかったら、「話をきかせてください!」「なにか手伝えることないですか」と思いきって聞いてみるといいと思います。私がそうだったように、実際に案件に関わってみると感覚や方向性がつかめて弾みがつきます。
また、最近は「移住」という言葉のイメージがちょっと仰々しすぎるのがよくないのかなとも感じています。私の場合は結婚していたので、そのたびに私の選択を尊重してくれた夫には感謝しかありませんが、「ちょっと東京に住んでみようかな」「やっぱしばらく地元に戻ってみるわ」くらいの感じで、あんまり重く考えすぎず拠点を移してみてもいいんじゃないかな、と個人的には思います。
こうしてこれまでのキャリアを振り返ってみると、行ったり来たりでせわしないなとも思いつつ、今ようやく自分自身のスキルとやりがい、地元のためになる仕事をしたい気持ち、ヘルシーな生活……という全部のピースがちゃんとそろって、ベストなバランスになってきたなという実感があります。
2021年にはインターステラテクノロジズで働く傍ら、北海道大樹町に宇宙港「北海道スペースポート」をつくるというプロジェクトにも参画し、ますます地元への貢献できている実感が高まってきました。
今後、自分自身と同世代の仕事仲間がそれぞれの領域でスキルを今後どんどん身に付けていったら、10年後に地元がよりおもしろい街になっているだろうなと思うので、いまはそれがなにより楽しみです。
中神美佳