「仕事に大きな不満があるわけではない。でも、30代以降のキャリアが固まりつつあるこの年齢で、前からやりたかった仕事に挑戦してみたい」。そんな思いを抱えつつも、もう一度ゼロから新たな知識やスキルを得るコストや、ある程度キャリアを詰んだ状態で異業種転職するリスクを考えると、失敗が怖くて、どうしても一歩踏み出せないという方は多いでしょう。
現在、ゲームの3DCGデザイナーとして活躍する千蒸アトリさんも、20代の頃は全くの異職種で「やっぱり自分は3DCGがやりたい」という思いを捨てきれず、日々の仕事に向き合っていたそう。
その後、3DCGの知識やスキルを身に付けるため千蒸さんが選んだ手段は、専門学校に通うことではなく「独学」でした。千蒸さんは独学で何を得たのか、転職を果たすまでにどのような紆余曲折があったのか。そのプロセスは、これから新たな知識を得てキャリアにつなげたい、と考えている方にとって、大きなヒントとなるはずです。
独学で3DCGデザイナーを目指すまで
――千蒸さんは美術大学を卒業して空間デザインなどの仕事に携わられた後、長らくUI(ユーザーインターフェース。Webページやソフトウェアでユーザーが操作する画面や操作する方法のこと)のデザイナーをされていたそうですね。
千蒸アトリさん(以下、千蒸):はい。ただ、20代の頃からずっと、「いずれは3DCGデザイナーになりたい」という夢を持っていました。空間デザインの仕事を辞めた後は、まずはCGを勉強するために専門学校に通わなくては、と思い、しばらく派遣の仕事で学費を貯めていました。
ですが、2009年、リーマンショックの影響で派遣切りに遭ってしまい……。専門学校に通うどころか貯金も底をつき、生きるためにとにかく働かなくてはいけなくなったんです。職業訓練校で身に付けたWebのスキルをなんとか生かして、結果的にスマートフォンやガラケー向けのゲームを手がけるベンチャー企業のUIデザイナーとして就職できました。アルバイトとして入社し、その後契約社員を経て正社員になったというステップです。その会社には、トータルで9年ほど在籍しましたね。
――その9年の間も、いずれ転職して3DCGデザイナーになりたいという夢はずっと持ち続けていたんですか?
千蒸:入社当初は目の前の仕事をこなすことで精一杯だったのですが、入社から何年か経つと、「本当に自分がやりたいのは3DCGだったのでは……?」と考えることが増えて。
さらに、スマホ向けのゲームUIの世界でも3DCGの表現がどんどん豊かになってきているのを感じていたので、「このタイミングだったら3DCG未経験者でも食い込めるかも」という淡い期待もあり、30歳手前で本格的に転職を意識するようになりました。
――なるほど。とはいえ、UIデザイナーとして順調にキャリアを積まれていたところでもあったと思います。同じデザインの仕事でも、3DCGとUIでは求められる知識もスキルもまったく異なりますし、かなり思い切ったキャリアチェンジだったのではないでしょうか?
千蒸:そうですね。ただ、仕事の時間って人生の大部分を占めるので、人生の充実度を考えると、その時間に好きなことをしていたいという気持ちが大きかったんです。会社で3DCGデザイナーの仕事を見ることもあったのですが、そのたびに「やっぱりそっちがやりたかったな」という気持ちが呼び起こされて……。
そんな経緯で、仕事終わりに夜な夜な独学で3DCGの勉強をするようになりました。
独学の効率を上げる、ツールとコミュニティの活用術
――千蒸さんは2017年に「3D修行」と銘打って独学を開始されます。もともとは専門学校に行くことを検討していた、と先ほどお話しされていましたが、であれば、なぜ「独学」という手段を選んだのでしょうか?
千蒸:夜遅くまで働いていたので、退職しない限り専門学校のカリキュラムをこなすのが難しそうだったんです。もっと若い頃であれば、勢いで退職するという選択肢もあり得たかもしれませんが、当時は「生活を安定させたい」という思いが強くて。だから、大変ではあるけれど仕事は続けつつ、独力で新たなスキルを習得する道を選びました。
――どういったスタイルで独学されていましたか?
千蒸:テキストや動画などを参考に、一つのCG作品をゼロから作り切るという作業を繰り返していましたね。
スケジュールとしては、特に時間を決めず、キリのいいところまで作業を進めたら寝るようにしていたので、毎日4時間から6時間くらいは机に向かっていたでしょうか。
――サラッとおっしゃいましたが、ものすごくストイックな生活ですね。
千蒸:たしかに、いま振り返るとがむしゃらに勉強していたなとは感じます(笑)。とはいえ、休憩もこまめに取っていましたし、そもそも長時間作業をすることは意識していませんでしたから。
それよりも意識していたのは、とにかく毎日コツコツとやる、やる気が起きなくても1時間は手を動かす、ということです。
――コツコツ続けるのは大事ではあるけれど、意志の強さと覚悟が必要ですよね。千蒸さんは独学を続けるために、どんな工夫をされていましたか?
千蒸:僕の場合、さまざまなツールを活用して、作業効率を上げていましたね。
――なるほど。例えば、どのようなツールを使っていたのでしょうか?
千蒸:紙のテキストはもちろん、Udemy(さまざまなジャンルのオンライン講座を販売するサービス)や、その他学習サイトも活用して、Blender(3DCGの制作ツール)の初心者入門講座を受けたりしていました。自分が作りたい対象の写真やイラストなどの参考資料をPinterest(自分の好きな写真やイラストをブックマークし、それを他人にシェアできるサービス)で集めつつ、細かい作業方法に関してはYouTubeに個人の方がアップしている動画を参考にすることもありましたね。
――独学のためのツールやサービスって、探してみると案外多いのかもしれませんね。でも、学校と違って、独学だと適切なフィードバックを受けたり、仲間から刺激を受けたり、という機会が少なく、物足りなさを感じることもあるのでは。
千蒸:たしかに、何か解消したい疑問や悩みが湧いた時、すぐに100%の返答をくれる相手がいない点は不便でした。僕はそのデメリットを乗り越えるため、意識してオンラインコミュニティに飛び込んでいました。
例えば、日常的にCG制作をしている人たちが集まるDiscord(メッセージアプリ。「サーバー」と呼ばれるテーマ別のグループで参加者同士がコミュニケーションできる)のサーバーに参加して悩みを相談したり、有志の勉強会や講座に参加して、本職の方が作った3D作品を自分のものと比べてみたり。
――では、千蒸さんにとって、勉強会や講座などでCG制作をしている方と交流することが独学を続けるうえでのモチベーションになっていたのでしょうか?
千蒸:それもありますし、僕の場合は作品の制作進捗をTwitterのフォロワーの皆さんに見てもらったのが大きかったかもしれません。一人で制作を続けているとどうしても視野が狭くなるので、いろいろな人の作品を見たり、いろいろな人に自分の作品を見られたり、という環境は大事だと思います。自分より上手い作品を見て、反省しつつ改善策を考えられますし。
――独学といえば一人で机に向かうイメージがありましたが、コミュニティに飛び込んで他人と知見をシェアしたり、他人に作業の進捗を見てもらったりすると、学びのスピードもグッと上がりそうですよね。
千蒸:はい。あと、SNSでの発信は、自分の足りない点を見つけられるのはもちろん、他人からよいリアクションをもらえることも大きなメリットです。苦労して作り上げた作品に「クオリティ高いですね」「本職の方じゃないんですか? すごいですね!」といったリプライをいただけると、単純にモチベーションが上がります。
これはクリエイティブ職以外にも当てはまることかもしれません。独学を始める方は、勇気を持ってぜひSNSで「活動報告」をしてみてほしいですね。
――まずは自分でやり切ってから、外部の知見を取り入れてブラッシュアップする、という千蒸さんの独学の進め方はツールやコミュニティを積極的に活用することで身に付いたものなんですね。このやり方って、仕事でも生かせるように思います。
千蒸:そうですね。実際、自分も独学を通じて、分からないことをすぐ人に聞いたり、教えてもらったことをそのまま繰り返したりするのではなく、「まずは自分で調べて検証するスキル」が身に付いたと感じます。これは、人に教えてもらう機会の少ない独学でいろいろ悩み抜いたからこそ得たものですし、3DCGデザイナーに転職した後も有効なスキルでした。
独学を続けられたことが自信につながった
――転職の話が出たので、具体的な経緯をお伺いしたいのですが、独学で「CG修行」を始めてから、実際に転職活動に踏み出されたのはいつ頃だったんでしょうか?
千蒸:20代の頃から断続的に何度かチャレンジはしていました。
僕の場合、まずは3Dの実務を積むことが大事だと考えていたので、1社に決め打ちするのではなく、3Dデザインに携われるポジションをいくつも並行して受けていましたね。そもそも、30代半ばでの転職はポテンシャルよりも実務経験が重視されるので、実務未経験の自分が初めから100%やりたい仕事をするのは難しいだろうな、と考えていましたから。
3DCGデザイナーとして内定をいただけたのは、本格的にCG修行を始めて2年が過ぎた2019年、36歳の頃でした。始めは業務委託として採用され、現在は正社員として勤務しています。
――独学でスキルを身に付けられていたとはいえ、実務未経験であることは一つの壁になったのではないかと思います。転職活動の際、自分のスキルや貢献度を、企業に対してどのようにアピールしたのでしょうか?
千蒸:たしかに、「実務未経験ですか」という一言は、面接で何度も言われましたね。ただ、それで及び腰になるのではなく、僕の場合は、UIデザインの仕事でやってきたことを伝えながら、「やり遂げる力」をアピールしました。「3DCGの実務能力はまだ足りないかもしれないけれど、これまでの業務はすべて責任を持って最後まで遂行してきた」と。
それから、これは面接のテクニックではありませんが、企業へ提出するポートフォリオを意識して、作る対象の範囲を広げるよう普段から心掛けていました。ロボットからキャラクターものまで、リアルなものとデフォルメ風のものをいくつか作り分けて、制作時はいろいろなツールを使って。これがポートフォリオに反映された時、「オールマイティ」という自分のアピールポイントになりました。まぁ「器用貧乏」という捉え方もできますが(笑)。
もちろん、企業によっては一点突破型の人を望む場合もあるので、相性もありますが、僕は実務経験がなかったからこそ逆に「器用にいろいろできます」というのを強みにできたのかもしれません。
――入社した企業には、やはりその「器用さ」が評価されたと感じますか?
千蒸:そうですね。入社後、なぜ自分が採用されたかを上司に聞く機会があったのですが、「ポートフォリオに入れた作品の一つがアサインしたいプロジェクトにマッチしていた」というのが理由の一つだったようです。それに、「仕様を守って業務を遂行できる人を求めていた」とも言われましたね。
――ではまさに、前職で培った経験やスキルや千蒸さんの長所が評価された形ですね。未経験の仕事にチャレンジする時って、「新しいスキルを身に付けるための手段」を意識しがちですが、「今の仕事にも将来役立つスキルがある」と考えることで、普段の仕事やキャリアへの向き合い方も変わるかもしれませんね。
千蒸:そうですね。最近まであまり意識していなかったのですが、UIデザイナーとしての経験も無駄ではなかったんだなと日々感じています。与えられた業務を遂行し、一つのプロジェクトを成功へ導くためのノウハウは、どの職種においてもある程度共通しているんだな、と。
そして、そのオールマイティさを自信に変えてくれたのも、ある意味独学のおかげだったかもしれません。「独学でこれだけ作れるようになったのだから、プロの現場で実戦経験を積めばもっと伸びるはずだ」と思えたんですよね。
――独学の経験がその先の自信にもつながったのですね。では、最後にお聞きしたいのですが、独学のスタイルを貫いたことは、転職後のキャリアやスキルにどんな影響を及ぼしたと感じますか?
千蒸:先ほどもお伝えした、「自分で調べて検証するスキル」が身に付いたことが一番大きなポイントですね。何らかのエラーにぶち当たった時、最初から匙を投げたり人に聞いたりするのではなく、さまざまな要素からエラーの原因を検証し、問題点を特定する、という進め方は今の上司からも評価してもらえています。
振り返ると大変なことも多かったですが、独学というスタイルを選んだのは間違いではなかったと確信しています。よりクオリティの高い作品を作れるよう、これからも勉強は続けていきたいですね。
(MEETS CAREER編集部)