人と人をつなげる「食」を大切にしたい。料理研究家・河瀬璃菜さんのこれまでとこれから【私のはじめの一歩】

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自分らしい生き方をしながら活躍している人の「はじめの一歩」について、本音で答えてもらう企画「私のはじめの一歩」。今回は料理研究家として活動しながら、SNSでの発信をはじめCMやテレビ出演など幅広い活動をしている河瀬璃菜さんにインタビュー。河瀬さんの活動を支えるものは、生まれ育った実家での食卓の風景でした。

プロフィール

河瀬璃菜(かわせ・りな)
通称「りな助」。1988年生まれ。料理家・フードプロデューサー。レシピ/商品開発、コンサル、執筆、取材、イベント出演、撮影、店舗プロデュースなど、食にまつわるさまざまな仕事をこなす。また、大手企業のCM広告や、テレビ出演なども積極的にしており、活動の幅は広い。近年特に力を入れているのは地方活性化のための6次産業支援。著書に『神レンチン』(文藝春秋)。そのほか多数。

河瀬璃菜さんが料理研究家になったきっかけを教えてください

料理研究家になろうと思ったのは、突然の思いつきです。私は2011年の3月に地元の福岡県から上京してきました。その時は東京で料理の仕事をするなんて考えていなくて。

上京して間もなく起こったのが、東日本大震災です。世の中が大きく変わっていきました。そして、4月には父が他界。これらの出来事が、精神的にとても大きな負担になり、一時的に働けなくなってしまったんです。

父は会社を経営していたので、残された母は本当に大変そうでした。そんな状況で家族に「働けなくなってしまった」とはとても言い出せません。家族には元気なふりをしていたんです。

そんななか、突然「食の仕事に就こう」と思いたち、その勢いで次の日にはフードコーディネータースクールに入学金約40万を振り込んでいました。

どうしてこのとき「食の仕事に就こう」と思ったんでしょうね。思えば私の実家は「食事」を非常に大切にしていました。

実家では、母や私の友達や、父の会社の関係者など誰かしらがいつも食事をしていました。母も料理することが大好き。高校生の時に、母は毎日重箱みたいなお弁当箱を持たせてくれました。友達とワイワイとおかずを交換したのを覚えています。

そんな環境で育ったから、「食は単に食べる行為だけでなく、人と人をつなげるものだ」ということを自然に意識していたんだと思います。今になって思えばですが、精神的に苦しかったからこそ、私はその原点に戻れたんでしょうね。

フードコーディネータースクールを卒業して入社したのは、レシピの制作会社です。ここから私の料理研究家としての活動が始まりました。

会社を独立して個人で料理研究家として活動されている河瀬璃菜さん。独立にチャレンジした理由を教えてください

そもそも私は会社で独立志向が強かったわけではありません。ただ、所属している会社の方針が変わり、新しい社内規約が提示されたんです。それは私にとって、同意できるようなものではありませんでした。この状況ではもう独立するしか道はないですよね。

独立することに関して、不安はありませんでした。当時の自分自身を振り返ると、借金があるわけでもないし、子どもがいるわけでもない。ある意味、守る物は何もない状態ですね。だから、やってみようって素直に思えたんです。

会社の外に、たくさんの友達や知り合いがいたことも後押しになりました。会社の人とだけ話をしていると「会社がすべて」という価値観にどうしても染まってしまいがちですよね。

社外の人に独立の話を出してみると、「えっ? まだ独立してなかったの?」なんて言葉が返ってきて。自分の名前で仕事をしていたので、みんな私がすでに独立して仕事をしているものだと思っていたんです(笑)。

日頃から、自分とは違う領域にいる人達と仲良くするのは重要かもしれません。「人脈を作る」なんて意識をせずに、純粋に友達として付き合っていくのが好きです。一緒に食事をしたり、趣味のサウナに行ったり、興味を持ってお互いの話を聞いたり。でも、そんなことが人生の可能性を広げてくれるのかもしれませんね。


最近はじめてチャレンジできたこと、やってよかったことはなんですか?

最近では料理研究家の仕事だけでなく、もっと大きな企画に携わることが増えてきました。鹿児島県の山田水産株式会社さんと一緒に、食に関する企画を作る株式会社UNAKENを設立しました。食に限らない、幅広い専門家の方々と一緒に、既存の商品や業態のリブランディングをしたり、新しい店舗の開発をしたりしています。

料理研究家・河瀬璃菜さん。通称「りな助」。1988年生まれ。料理家・フードプロデューサー。近年特に力を入れているのは地方活性化のための6次産業支援。鹿児島県の山田水産株式会社さんと一緒に、食に関する企画を作る株式会社UNAKENを設立した。この写真はキッチンカー業態の山田のうなぎ号 キッチンカー業態の山田のうなぎ号

具体的な例を一つあげると「山田のうなぎ号」というキッチンカー業態を開発し、運用しています。鹿児島県から直送されたうなぎや、おいしい「とろさば」や「さばカツ」などをキッチンカーで調理して、羽釜の炊きたてご飯と共にお弁当にして販売しています。このような業態のパッケージを作って、ゆくゆくは事業会社と提携して運用していこうと考えています。

もう一つ力を入れているのが「産業の6次化」の手伝いです。産業の6次化とは農業や水産業などの生産者さんが流通や販売にまで携わること。こうすると、生産者さんたちはより多くの収入が得られますし、消費者も生産者さんたちが身近になります。

最近ではこうした農業や水産業などの6次産業化から一歩進んで、有田焼の支援をしています。有田焼は日本を代表する素晴らしい器なのですが、新型コロナウイルスが流行している昨今、飲食店に商品を卸すことが難しくなっているんです。

そこで厳しい状況にいる窯元や器の商社と一緒に、一般家庭にも有田焼の魅力と価値が伝わるような器を作っています。

新しい企画をゼロから作っていくのは、毎日が挑戦と勉強です。大変なことは多いですが、楽しんでいますね。

今後チャレンジしたいことを教えてください

地方に行くと、「ちょっと埋もれているけど良いもの」ってたくさんあるんですよ。最近、あらためて見直した食材だと宮城県のホヤ。みなさんホヤを「苦い」と思ってるんじゃないでしょうか。でも新鮮なホヤは苦くありません。歯ごたえがあって、びっくりするくらいおいしいんですよ。

料理研究家・河瀬璃菜さん。通称「りな助」。1988年生まれ。料理家・フードプロデューサー。近年特に力を入れているのは地方活性化のための6次産業支援。最近、あらためて見直した食材は宮城県のホヤ。この写真はホヤのクラムチャウダー ホヤのクラムチャウダー

ホヤは火を入れることでとても濃厚な出汁が出ます。ボンゴレやクラムチャウダーなど、貝を使う料理をホヤに置き換えると、おいしいです。

宮城県にあるホヤの養殖場は2011年の東日本大震災で大きなダメージを受けました。養殖場が立て直り、ホヤの出荷が再開できたのは2014年のことです。

実はホヤの多くは、韓国に輸出されて消費されています。韓国ではヤンニョム(ピリ辛の合わせ調味料)とあえてチャンジャのようにしたり、串に刺して甘辛いタレで焼いたりします。しかし、韓国は福島県の原発事故をきっかけに、日本からの水産物輸入の規制をしました。もう事故からは時間は経っていますが、規制は今でも続いています。日本では韓国ほどにホヤを食べる習慣がありません。その結果、宮城県のおいしいホヤが販路を失っているんです。

また、先ほどお話しした有田焼はとても素晴らしい器です。ただ、若い世代からは少々とっつきにくく感じられている面もあると思うんです。こうした物の価値を「産業の6次化」のような形で、幅広く伝え、次世代に繋いでいきたいです。

仕事の告知・宣伝があればどうぞ!

先ほどの話に出た「山田のうなぎ号」は慶應義塾大学病院の屋外広場に週に2回出店しています。お近くの方はぜひ行ってみてください。

また最近では『神レンチン あなたにやさしい電子レンジレシピ』(文藝春秋)や『イカす!よっちゃんレシピBOOK』(二見書房)などの書籍を出しました。特に『イカす!よっちゃんレシピBOOK』の方は、「よっちゃんイか」などの駄菓子を食材にしたユニークなレシピ本です。ご覧いただければ幸いです。

Twitter:河瀬璃菜
ブログ: 河瀬璃菜

 

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