どうも今の仕事環境が肌に合わない。心機一転、新天地で新たなチャレンジをしてみたい。移住という選択肢も身近になるなか、そんな考えがふと頭に浮かぶこともあると思います。
ただ、移住に際してキャリアはどうなるのか、どこまで準備が必要なのか、と不安が尽きないのも事実です。
2004年にギター侍で大ブレイクを果たした波田陽区さんは、芸人としてリスタートするために2016年に福岡へと移住。現在は、福岡県や地元・山口県などのテレビやラジオ番組、各県の企業CM出演などを中心に活発に芸能活動を行っています。
東京時代と比べて性格も明るくなり、キャリアが開けた波田さん。移住のきっかけから新天地で仕事を獲得するまでの道のり、仕事との向き合い方の変化など伺いました。
東京で仕事がなく悶々と10年。殻を破るために福岡移住
――現在の福岡での活動状況を教えていただけますか?
波田:九州のテレビやラジオを中心に、営業で呼ばれてネタをやったり、コロナ前はイベントに呼んでいただいたりという感じですね。ありがたいことに福岡県や地元の山口県のCMにも使っていただいています。
ただ、最初に一つだけ言っておきたいのは、僕は決して福岡で売れているわけではありません。たまにライターさんが気を遣って「波田、福岡で大ブレイク!」みたいに書いてくれることがあるんですけど、まったくそんなことはなくて(笑)。みなさまのおかげで、なんとか生活できているという状況なんです。
――福岡には2016年4月に移住されたとのことですが、そもそもどんなきっかけだったのでしょうか?
波田:40歳を機に自分を変えたいという思いがありました。2004年に一度はギター侍で世に出ましたが、それ以降はたまに一発屋の仕事があるぐらいで10年以上も悶々としながら毎日を過ごしていました。東京で殻を破れない自分にストレスを抱えていて、いつも何かきっかけを探していたんです。
2016年は、ちょうど子どもが小学生に上がるタイミングでもありましたし、思い切って環境を変えようと考えたのが福岡移住の理由ですね。妻に相談したら、すぐに「いいよ」と受け入れてくれました。
――当時、東京でのお仕事の状況はいかがでしたか。
波田:最後のほうは営業が月に1本や2本という状況で、自分が先細っていくのを肌で感じていました。お先真っ暗ですよね。10年後の自分なんて、まったく見えてない。もしかしたら、死んでいるかもしれないなと。
子どもも大きくなって親父の状況を理解してくるし、ずっと家にいる自分を妻に見せているのも辛いし申し訳ない。仕事に行くと嘘をついて、ぶらぶら時間をつぶしたりもしましたね。まあ、妻は気づいていたと思いますけど……何も言わずにいてくれました。
――芸人の仕事とは別にアルバイトなどはしていなかったのでしょうか?
波田:東京の頃はしていませんでした。やっぱり、しょうもないプライドがあったんでしょうね。ただでさえ「一発屋」と世間からバカにされているのに、バイトなんかしたらますます惨めになってしまうって。こっそりと、人に会わないで済むバイトを探したりもしましたが、結局は振り切ることができない弱さがありました。
一発屋の仕事では、毎回「最高月収と最低月収は?」「家族からかけられた悲しい一言は?」と聞かれます。今でこそ堂々と「どうも、一発屋です」と言えるようになりましたが、当時は正直しんどかったです。
――移住先に選ばれたのは、なぜ福岡だったのでしょうか?
波田:僕の実家が山口県の下関で、妻の実家が熊本県なので、福岡はちょうど真ん中にあたります。また、福岡にはワタナベエンターテインメントの九州支部があり、僕より先に東京から福岡へ移住して活躍されている先輩方もいらっしゃいました。福岡出身じゃなくても、福岡に根を下ろして真剣に頑張ることで地元の方々に認められ、愛されている芸人さんが何人もいたんです。そうした先輩たちの存在も大きくて、決断しました。
移住先ではギター侍ではなく、波田陽区として求められた
――福岡に移住して、まずは何から始めましたか?
波田:マネージャーさんと一緒に、福岡のテレビ局やラジオ局へ挨拶回りに行きました。「波田陽区が福岡に来ましたので、よろしくお願いします」と。でも、それですぐに仕事がくるほど甘くはありません。福岡で活躍されているタレントがたくさんいるなか、いきなり僕が来て「ハイ、どうぞレギュラーです」なんてことはあり得ませんよね。
だから、しばらくは週5でアルバイトをしていました。福岡国際空港から海外へ渡航される人に、Wi-Fiのルーターを手渡して宣伝する仕事です。ギター侍ではなくスーツを着て、朝から晩まで。「みなさま、いってらっしゃいませ」と「おかえりなさいませ」の二言だけでやりくりしていました。なかには波田陽区だと気づいてくださる方もいて、「あ〜福岡に来たんだ。頑張ってね」と声をかけてくださいましたね。
――アルバイトに対する抵抗感もなくなったわけですね。
波田:完全にふっきれましたね。それまでの僕はいつも実力のなさを「一発屋」というレッテルのせいにしてしまっていたんです。そこで割り切って面白い発言やアクションができていれば、殻が破れて東京で新しい自分を見せられたかもしれないのに、僕の場合はどんどん卑屈になり、一人でいじけていた。
でも思い切って環境を変えたことで、いいきっかけをもらえました。そもそも自分を変えたくて福岡に来たのに、そこで仕事を選り好みしてたらどうしようもないですよね。そんなやつ、誰からも愛されるわけがない。もう福岡に骨を埋めるつもりで、やらせていただけるものは何でも全力でやって。とにかく……変わりたかったんです。福岡で第二の人生を切り開いていきたい思いがありましたから。
――そこから芸能の仕事が増えていくきっかけは何かあったのでしょうか?
波田:ここでかっこいいきっかけがあったらよかったんですけど、実際は完全なるラッキーなんです。福岡に引っ越してきた年のオリンピックで卓球の水谷隼選手がメダルをとったんですが、その翌日に「水谷と波田陽区の顔が似ている」という記事がスポーツ紙に載ったんですよ。
それから、びっくりするくらい取材や出演のオファーが殺到しました。自分は何もしていないのに、棚からぼた餅がボトボト落ちてきた。驚いたのは、NHKの夜9時のニュース番組からもインタビューが来たこと。アナウンサーの方が、わざわざ福岡まで取材に来てくださって、反響の大きさを実感しました。
――なるほど。ただ、福岡に移られてからは、ギター侍としてではないお仕事も増えている印象です。
波田:こっちに来てからは波田陽区として仕事に呼んでもらえるのがありがたいです。ラジオの時はギター侍ではなく、完全に普通のおじさんとして出ていますし、テレビでも着物こそユニフォームとして着用しますが、ギターは弾かずに街ぶらロケをすることが多いです。ギター侍のネタはまったく求められていませんね。むしろ、自分から「残念〜」っていうネタのフレーズを、スキあらば使ったりしています。
――住む場所を変えたことで求められることが変わったということでしょうか。
波田:そうですね。福岡に来てから気づいたのですが、こっちにはそもそも一発屋を扱うバラエティ番組があんまりないんだと思います。それよりもむしろロケに行くレポーターのような仕事が多くて。僕もそういった仕事をいただくなかで、「意外と波田はこういうこともできるのか」と知っていただけたのが大きいかもしれませんね。
あとは、ラジオでご一緒したアナウンサーの方が、「せっかく福岡に来たんだから、波田くんのことを知ってもらわなくちゃ」と一緒に局内を回ってくださったり、街中でも温かい言葉をかけてくださったり。福岡の皆さんに助けていただいている部分がすごく大きいと思います。
福岡に居場所ができたことが卑屈な自分を変えた
――先ほどから周囲の方々に対する感謝の言葉をお話しされていますが、波田さんご自身も人付き合いという点で変化はありましたか。
波田:こっちに来てから性格が明るくなったんですよ。だから、スタッフさんたちと積極的にコミュニケーションを取るようになりましたね。東京にいた頃は「飲み会=スタッフに媚びを売る時間」だと思っていて、そういう会をなるべく避けていました。でも、福岡に来てからはヘンなプライドや固定観念もなくなり、スタッフさんと人対人で向き合えている実感があって、飲み会も素直に楽しいですよ。まあ、今はコロナ禍で飲み会もありませんが……。
――それができるようになったのは、波田さん自身に心の余裕が生まれたからなのでしょうか?
波田:やっぱり、波田陽区として仕事をいただけるようになったことが大きいと思います。東京時代は仕事もないし、あっても一発屋の仕事だけだったので、人と話をするときも「みんな、どうせバカにしてんだろ」っていう思い込みが強すぎて、誰にも心を開けなかった。今はギター侍以外の自分も知ってもらえているので、そういう卑屈な気持ちは薄くなりましたし、環境を変えて自分の気持ちをリセットすることができたから、比較的抵抗なく話せるようになったんだと思います。
――では、少し意地悪な質問で申し訳ないのですが……。もし、いま「一発屋」としての振る舞いが求められるような番組からオファーが来たら、どうされますか?
波田:いやいや、オファーをいただければ喜んでやりますよ。実際、今も年に2〜3回くらいは「一発屋のお仕事」をいただきますが、毎回全力でやっているつもりです。ただ、東京に住んでいた頃はそういう現場に行くと、たいていストレスで瞼がぶるぶる痙攣していましたけど、最近はそれがなくなりました(笑)。
おそらく、福岡に自分の居場所が持てたからこそ、卑屈にならずに過去の自分を受け入れられるようになったんだと思います。一発屋をやっとエンターテイメントにできるようになったというか。まあ、遅すぎますけどね。
――逆に、福岡で仕事をするにあたって、東京で築き上げたキャリアは役に立っていますか?
波田:居場所ができたからかもしれませんが、結局どこまでいっても「ギター侍」に助けられているんだなと最近は感じます。一時期はもう着物を着たくない、「残念」と言いたくないって、ギター侍を遠ざけようとしていました。
でも、今やっているどの仕事も、結局はあれがあったからこそいただけているんだって、ようやく気づけるようになりました。福岡だけでなく、北陸のラジオから僕のネタにちなんで「残念」をテーマにした番組に出演してほしいとオファーが来たり、長野県警からギター侍の格好で「特殊詐欺を斬る」ということでCMのお話をいただくなど、未だにあのキャラクターを求めてくださる方がいるんですよね。
――それこそ「エンタの神様」を見ていた世代からオファーが来ることもありそうですよね。
波田:長野県警の仕事もまさに、エンタを見ていた方が会議で僕のことをプッシュしてくれたと伺いました。もともとは人相が悪くて警察に職質される側だったのに、お仕事をいただくなんてびっくりですよ。ギター侍の残像が今も全国で僕に代わって営業してくれているようなものです。
それと、ロケで困った時にも「残念!」ってとりあえず言っておけば何とかなる(笑)。もう、僕にとってギター侍は大恩人ですよね。これからも一生助けてもらうんだろうなと思うので、今ではとても大切にしています。
移住によって人生と仕事の視野が広がった
――福岡に引っ越されてから5年。生活環境としてはいかがですか。
波田:福岡ってどの芸人に聞いても最高って言うんですけど、実際に引っ越してみると街がコンパクトにまとまっていて本当に住みやすいです。食べ物は美味しいし、街の方は親切だし、自然にも恵まれている。家賃だって東京に比べたら半分ぐらいですからね。駐車場に毎月3万も5万も払っていたのはなんだったんだろうって。福岡での100万は東京の倍の価値があると思います(笑)。
――羨ましいです。お話を伺っていて、波田さんには本当に福岡が合っていたんだなと感じます。
波田:そうですね。僕にとってはぴったりの環境でした。もちろん、地方出身者でもむしろ東京のほうが居心地いいし仕事もうまくいくという人もいるでしょうし、移住することが正解だとは思いません。それに、こんなふうに偉そうに語っていますが、僕は決して成功者ではありませんからね。ただ楽しく仕事をさせてもらっているだけで、全然ブレイクしてませんから。残念!
――生の「残念!」ありがとうございます(笑)。でも、楽しく仕事ができているというのが何よりですよね。
波田:そうですね。移住が正解ではないけど、今いる場所で苦しんでいて、人生をリスタートしたいと思っている人にとっては、いいきっかけになるんじゃないでしょうか。その苦しさに耐え抜いて結果を出す人もいるんでしょうけど、環境を変えると人生や仕事の視野が広がってラクになれると思います。一つのことに固執しなくてもよかったんだなって思えるようになる。そこでもし、前の仕事や環境のほうが自分に合っていると思えば、戻ったらいいわけですし。動かなかったら、そんなことにも気づけませんよね。
そうはいっても、もう福岡に腕のあるタレントさんは来ないでください。僕にとっては脅威でしかないので、どうか東京にいてください。これはしっかり太字で書いておいてくださいね(笑)。
(MEETS CAREER編集部)
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)