マンガ家・藤田和日郎に聞く 数え切れないダメ出しを乗り越えて見出した「仕事の本質」

藤田和日郎先生


「なんで上司はいつも厳しいことを言うんだろう」
「どうしてこんなに大変な思いをしなきゃならないんだろう」

懸命に仕事に取り組むほどモヤモヤとした気持ちが膨らみ、目標を見失いそうになったり、横道に逸れそうになったりする。

でもそんなときほど、目の前の仕事の「本質」を見極めることが大切です。

では、仕事の本質とは何なのでしょうか。その答えを求めて訪ねたのは、『うしおととら』や『からくりサーカス』などの人気作品で知られるマンガ家・藤田和日郎先生の仕事場。

藤田先生は著書『読者ハ読ムナ(笑) いかにして藤田和日郎の新人アシスタントは漫画家になったか』(小学館)で、自身の仕事場にアシスタントとして入ってきた新人マンガ家にアドバイスをする体裁で、仕事哲学を語っています。

『烈火の炎』の安西信行先生、『金色のガッシュ!!』の雷句誠先生、『ムシブギョー』の福田宏先生など、そうそうたるマンガ家を輩出してきた藤田先生の仕事場。

その仕事場で藤田先生がアシスタントたちに語っていたのはマンガ家のみならず、どの職種・業界の若手にも通じる、仕事に向き合う姿勢や仕事の醍醐味でした。

今なお「作品を描くのはつらい」と語る藤田先生に、なぜこれほどのキャリアを積み上げてもつらい仕事を続けるのか、そして仕事の本質とは何なのか、率直にお伺いしました。

藤田和日郎先生
藤田和日郎(ふじた・かずひろ)先生 1964年、北海道旭川市生まれ。1988年、『週刊少年サンデー』増刊号に掲載された『連絡船奇譚』でデビュー。代表作に『うしおととら』『からくりサーカス』『邪眼は月輪に飛ぶ』『月光条例』『双亡亭壊すべし』『黒博物館』シリーズがある。

ダメ出しに傷つきそうになったら、考えるべきこと

──藤田先生は『うしおととら』の連載が決まるまで、編集者から何度も何度もダメ出しされて、ノート18冊分もネーム(大まかなコマ割りやセリフなどを描いた漫画の設計図)を描いたそうですね。

藤田和日郎先生(以下、藤田) そうですね。こっちが本気出して考えたものを「全然ダメ」と突き返されて、当時はショックで脳髄が揺さぶられて自分のカラダがバランバランにされたような気持ちになりましたし、「なんでこれがダメなんだ!」ってハラワタが煮えくりかえることもありました。

でも今になって考えると、当時の編集さんから言われた「『人の心が変わる』感動のドラマを持ってきな」みたいなアドバイスは週刊少年マンガ誌で連載をする上でごく当然のことだったように思います。

だからうちのアシスタントたちには「自分の人格と作品は切り分けて考えな。編集者から作品に何か言われたからって、お前の人生や人格を否定されたわけじゃない」と伝えています。とはいえそれは自分の苦い経験から言っているのであって、当の僕は新人時代にそんなふうに考えることなんて、全然できてませんでした(笑)。

だけどそれができないままいつまでも怒ったり腐ったりしていても、先に進めない。うちのアシスタントで言えば週刊のマンガ雑誌で連載するという目標に近づいていかないんです。それが分かったもんで、後知恵で後輩たちには「そうしなよ」と言っているわけです。

僕の場合、「マンガ家として1年やってみて何の成果もなかったら就職する」という約束を親としていたので、編集さんからいくら「全然ダメ」と言われても引き下がるわけにいかなかった。だから「どういうところがダメなんでしょうか? 何が『良い』と思うものなんですか……?」と聞いて、次に描くものはそれにできる限り近づけるようにしました。そうして目標に近づく方法を覚えたわけです。

多少のことでは揺るがない「尊い自信」を作るには

──藤田先生は何度ダメ出しされても担当編集に立ち向かっていきましたが、失敗したくないし、否定されたくないという気持ちが強くなり過ぎて、なかなか踏み出せない人もいます。また、何か言われるとすぐ心が折れてしまう人もいるように思います。

藤田 確かに、経験が浅い頃って自分に才能があるのかないのか、答えが出るのが怖くてしょうがないものですよね。他人に実力を評価されるのがイヤだから、行動しないわりにカッコつけるし、斜に構える。僕も大学時代は、マンガ家になりたいと思いつつ、一度も出版社に作品を持ち込みませんでした。

でも、そんな状態で得られる自信なんて、吹けば飛ぶようなものなんです。多少のことでは揺るがない自信を得るには、今ある自信を取っ払って、ゼロからスタートすべきです。

例えば営業の仕事に就いた人が、入社してすぐの研修で「営業の電話を100件かけろ」と言われて、愚直に取り組んだ結果全部断られたとしますよね。契約は取れなかったとしても、それくらいやれば「知らない人のところに電話かける」ことに対して抵抗はなくなるでしょう。

藤田和日郎先生

相手から冷たい反応をされたらもちろん誰だって傷つきますよ。でもそれを何十回も経験すると、断られたり冷たい反応をされたりすることが「パターン」になって、最初の頃ほどはダメージを受けなくなり、契約を取るための会話やテクニックを考えることに集中できるようになってくる。

そういうタフさは自分で汗を流したからこそ得られるものでしょう。ひとつひとつの営業はうまくいかなかったかもしれないけども、あとからそこまでの道のりを振り返れば、尊い自信につながっていると分かる。そういうものだと思うんですわ。

──確かに、取り組んだこと全てが無駄になるわけではありませんね。

藤田 僕も新人の頃に「話が面白くない」とか「キャラクターが魅力的に見えない」とか編集さんに言われて、40ページくらいの読み切り作品を10回も描き直しました。編集さんからのアドバイスを咀嚼して粘り強く取り組んだおかげで、ひとつの物語に対していろんなアプローチの仕方、いろんな軌道修正の仕方がいつの間にか身についていた。だから締め切りに追われて「続きの話、どうしよう……」とアップアップしても、今はなんとかうまい答えが出てくるんですよ。

だからみなさんがダメ出しされてしょげたり、何回やってもうまくいかなくて絶望したとしても、やったことがゼロとかマイナスになるわけではないんです。むしろ、やったことは着実に経験値として蓄積されて、いつかものになる日がくる。どんなにつらい経験も、ムダにはなりません。

厳しさを自分の血肉とするには「事実」と「推測」を分けて考える

──前提として、仕事で成果をあげるためには、相手に対して厳しく接することや、相手の厳しさを受け入れる態度も必要だと思いますか。

藤田 例えば陶芸だってなんだって、職人の世界では一定のレベルに達していないものは表に出せないわけでしょう。僕がいるマンガの世界も同じで、マンガ家が一定のレベルに達するまで編集者は「これではダメだよ」と言って乗り越えるべき壁を示さないといけない。会社員の世界でも、上司がそういった壁を示すことや、部下がそれを乗り越えるために努力するという意味での厳しさは必要だと思います。

そこで気をつけた方がいいのは、厳しくすること自体ではなく、その言い方です。言い方ひとつでケンカになることもあれば、気持ちよく受け入れられることもあるわけでしょう。要は「相手の気持ちを想像してみ?」ということですね。例えばよく親が「何でそんなことしたの?」と子どもに言うけれども、子どもからしたら答えようがない。こういう追い詰めるような言い方はあんまりよくないですね。

そうじゃなくて言う側は「これはこうだから、こうなんだよ」と理屈や経緯を伝える。言われた側も憮然として黙ったり、ショックを受けて呆然としたりしないで「それってこういうことですか?」と質問形式で相手の意図や考えを聞き出した方がいい。そうすれば人間関係は悪くならないですし、「厳しさ」が建設的な意味合いを持つでしょう。

──最近は「パワハラだ」と言われることを恐れて上司側も遠まわしにダメな点を伝えることがありますが、良いのか悪いのかよく分からないときは部下側もまずちゃんと確認した方がいいと。

藤田和日郎先生

藤田 確認する上で大事なのは「事実と推測を分けて考える」ことです。例えば「クラスのみんなに嫌われてるような気がする」というのは「推測」。でもひとりひとりにそれとなく「僕のこと嫌い?」と確認するなり、別の誰かを介して聞いてみるなりすれば、その結果は「事実」になる。往々にして、人は確認もしないで「俺って嫌われてるんだ」「俺はダメだ」みたいに「推測」で心がいっぱいになっちゃうんだけれども、それは避けた方がいい。

例えば新人マンガ家が編集さんから「いや、それはいかがなものかと思うな」みたいに曖昧なことを言われたら、「『いかがなものか』ということは、これはやっちゃダメということですか?」「そうね、どっちかって言えばね」「『どっちかと言えば』ということは『不可』ではない?」「いやいや……」と確認を進める。「いかがなものか」という反応を掘り下げ、明確な言葉が得られたら、推測ではなく事実になる。

それからさらに個人の意見なのか、集団の総意なのかも確認しておくといいですよ。マンガで言えば編集さんに「○○さん個人がこういうものを嫌いだという話なのか、それとも『週刊少年サンデー』的に人気が取れた試しがないからやめておけという話なのか、どちらでしょうか」と聞くとか。

コミュニケーションとは「喋る」ことではなく「相手に関心を持つ」こと

──会社員は組織の一員として動いていますから、相手の意図を正確に汲み取る確認作業は重要ですね。ただ、自分と年が離れていて仕事の内容も権限も違う年上相手だと、どう接したらいいのか分からない、何を考えているのか分からないという若手も多いと思います。いいコミュニケーションの取り方はありますか。

藤田 世の中の大人やお年寄りは、多少のことに動じなさそうに見えますけど、中身は意外と子供っぽいことも多いですよ。皆さんのお父さんお母さんを思い出してもらえば分かるかもしれませんが、けっこう感情で動いているように見えるときもあると思います。

もちろん、十何歳以上離れていたら何考えてるかなんて、年上側だって年下側のことは分かりません。だけど何をされたらイヤなのか、何をされたらうれしいかくらいはお互いなんとなく分かるんじゃないですか。

ひとつ言いたいのは、より面白いことや楽しいこと、相手が興味を引くようなことを言って会話の空白を埋めればいいと思っている人間がいるんですけれども、それはコミュニケーションじゃないと思うんですわ。

藤田和日郎先生

──というと?

藤田 僕は相手に興味を持つこと、「あなたを理解したい」という思いこそがコミュニケーションで一番大切な部分だと思うんですよ。たとえ口下手でも、相手に興味を持って、話をちゃんと聞いてあげればいいんです。だけど、人の話をさえぎるようにしゃべるだけしゃべって何も聞いてこない人がいたら、その話がいくら面白かったとしても、会話が成立しないでしょう。そうしたら相手の気持ちは良くなりません。

「良い天気ですね」とか「夏は喉が渇きますね」みたいな他愛もない話題でもいいから「この人としゃべった」「この人は自分に興味を持ってくれた」というかたちでお互いの心が耕されていないと、言葉は届きません。相手に対する共感があって初めてガードがほぐれて、助言だとか提案の言葉も入っていくようになる。だからまずは関係性を作ることが、仕事で意見を言い合う上でも大事になる。

相手に興味を持って質問するのがコミュニケーションなのであって、これにはしゃべりがうまいもヘタも関係ありません。仕事は人と人とでするものですから、マンガ家とアシスタントだろうが上司と部下だろうが「こいつは何考えているのか分からん」という状態では先に進まないわけですよ。

例えば、うちの作業場には全員で映画の感想を言い合う文化があるのですが、映画の内容を知るというよりは「その映画が好きな他人のことを知る」という意味合いが強いんです。

人間がどうして「こんにちは」「ありがとう」というような挨拶を生み出したのかと考えると、それを入口に相手への関心を示して質問する、そうやってお互いの心を耕す取っかかりを作り出すための発明だったんじゃないですかという気がします。

聞こえのいい言葉に流されそうになったら、「なりたい自分の姿」を思い出そう

──仕事に対する心構えのお話に立ち戻りたいのですが、キャリアに迷う若い頃は目の前の仕事に打ち込むのではなくて「これからの時代はこれが必要だ」みたいなメディアの言葉に流されて、仕事で使うアテもないのに資格を取得したり、外国語の勉強をしてみたりといった行動を取ってしまう人もいます。

『読者ハ読ムナ(笑)』の中でも「自分の内側を見つめて作品を創り出すことから逃げて、外側にある流行りものから借りてくるのはやめな」といった新人マンガ家へのアドバイスが出てくる
『読者ハ読ムナ(笑)』の中でも「自分の内側を見つめて作品を創り出すことから逃げて、外側にある流行りものから借りてくるのはやめな」といった新人マンガ家へのアドバイスが出てくる

藤田 みなさんが小中高生だったときを思い出してもらいたいんですけども、試験前に限って部屋の整理整頓をしたくなったりしませんでしたか? 人間って、真正面からやらないといけないことに立ち向かうのは苦手なのかもしれませんね。

僕は「聞こえのいい言葉には気をつけな」といつも言っているんですね。例えば「人を楽しませるためには、まず自分が楽しんでいないといけない」とマンガを書く入門書とかにも書かれている。でもこれ、ある側面ではウソですから。

マンガ家として人を楽しませるためには、まず「物語の展開ってどうすればいいだろう?」「キャラクターが魅力的に見えるってどういうことなんだ?」とめちゃくちゃ考えながらネームを作らないといけません。ネームを作ることは絵を描くことに比べると、上達も目に見えづらく、つらい作業ですよ。だけどそこをやんなくちゃいけない。ほかの仕事でもおんなじだと思います。自分が楽しんでばっかりなんてことは、たぶん、ない。

そしてその「つらくても真正面からやんなきゃいけないことに向き合う」にあたって前提になるのが「あんたは何になりたいの?」ということ──これは以前、アドラー心理学の本を読んで、なるほどな、こういうことが言いたいのかなと思ったことなんだけども。何になりたいのかが定まっていないと、しんどいこともなかなかできませんわな。

僕は「たくさんの人に読まれる作品を描くマンガ家」になりたかったし、どんなにつらくても「描きたいものを描いてます」と言いたかった。だからネームを頑張りました。もちろん、「仕事を楽しむな」と言いたいわけじゃなくて、目標もないまま聞こえの良い言葉に身を任せても、どこにもたどり着けないよという話です。

これまでの人生の中に、「未来で回収すべき伏線」がある

──そうはいっても、「自分はこうなりたい」というのが分からないとか、あったとしても「本当にこれでいいのか?」と迷っている人も多い気がします。進むべき道を決めるためのヒントはありますか。

藤田 僕は「伏線を張るマンガ家」だとよく言われていて「最初から物語の展開を考えていたんですか」と読者から訊(き)かれるわけです。だけれども必ずしもそんなことはない。物語の続きを考えていくにあたってのヒントは、今まで作ってきたエピソードの中にあるんですよ。それを拾うことで、過去のエピソードが回収されるべき伏線になる。

そう考えると、みなさんそれぞれの生きてきた道を振り返ってみれば、おそらくこれからどうなりたいのか、どちらに進んでいけばいいかはおのずと見えてくるんじゃないですか? 誰しも自分がそれまで生きてきた人生の中に、ずっと興味があることや、たとえキツくてもやりたいと思えるようなことがきっとあると思うんですわ。

藤田和日郎先生

昔、とある科学館でのイベントに呼ばれたときに、そこで案内をしている方たちに「どのようなきっかけでこのお仕事を選ばれたんですか?」と聞いたら、「高校のときの物理の先生が素敵だった」「中学のときの理科の先生が面白くて」と。ですから人間は意外とささいなことを入口にして、ワーッと深いところに入っていくかもしれませんね。

自分の中の感情の渦をさかのぼってたどっていけば、人生の伏線はきっと見つかります。ただ、不幸なこと、イヤな思い出からは探さなくていい。それはもう終わったものですから。自分が好きなことの伏線をたぐり寄せて、それをこれからの人生で目いっぱい回収していけばいいんですよ。

取材・文:飯田一史
写真:小野奈那子

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