仕事は思い通りにいかなくて当然。失敗とカジュアルに付き合うための「絶対悲観主義」

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「GRIT(やり抜く力)」や「レジリエンス(困難を乗り越える力)」。近年、ビジネス書を賑わせるこうした意識の高い思想に、違和感を覚えてしまう人もいるのではないでしょうか。

そんな中、「たいていの仕事は失敗する。だからこそ淡々と取り組もう」と、何とも軽やかなメッセージを発信するのが、数々の起業家たちと向き合ってきた経営学者の楠木建さんです。

楠木さんはそれを「絶対悲観主義」と称し、“普通の人向けの仕事哲学”として提唱しています。

「思い通りにならない」を前提とすることで、成功の呪縛から逃れ、心安らかに仕事ができる。

自分には野心も根性もない……と感じているあなたにこそ読んでほしい、仕事への向き合い方にまつわるお話を楠木さんに伺いました。

楠木建さんプロフィールカット
楠木建さん。1964年、東京都生まれ。一橋ビジネススクール特任教授。一橋大学商学部卒、同大学院商学研究科修士課程修了。専門は競争戦略。

※取材はリモートで実施しました

なぜ仕事は「思い通りにいかない」のか

──楠木さんは「絶対悲観主義者」を自認され、これが普通の人にとってベストな仕事への構え(哲学)だと述べられています。改めて、絶対悲観主義とはどのような仕事哲学なのでしょうか?

楠木建さん(以下、楠木):絶対悲観主義とは、「自分の思い通りにうまくいくことなんて、この世の中には一つもない」という前提を持って仕事をすることです。身も蓋もないようですが、この事実を直視しておけば、目の前の仕事とむしろ気楽に向き合えます。

──それは、何事に対してもやたらと不安を感じてしまう悲観主義とは違うのでしょうか?

楠木:「うまくいかないのではないか」と不安になるのは、その人の中に「失敗したくない」「うまくやりたい」という欲求があるからではないでしょうか。つまり、「うまくいく」という前提がある。この点において、一般的な悲観主義は実のところ「根拠のない楽観主義」であるとも言えます。

最初から「うまくいかない」ことを前提にする絶対悲観主義の場合、結果に期待しないぶん、不安になることもありません。

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──確かに、「ここまで準備したんだからうまくいくはず」「絶対に成功させたい」という思いが強いほど、思い通りの結果が得られなかった時の落胆は大きくなります。

楠木:なぜ仕事というのは思い通りにいかないのか。それは、必ず「お客さん」が存在するからです。当然ながら、他人を直接コントロールすることはできません。あのイーロン・マスクだって、テスラの車を消費者に無理やり買わせているわけではない。そう考えると、それぞれが利害を抱えて生きている世の中で、自分の思い通りになることがあると考える方がヘンではないでしょうか。

──当たり前のことですが、日々の仕事に追われていると、つい忘れてしまいがちな視点です。

楠木:自分以外の誰かのためになって初めて仕事として成立すると考えるならば、それ以外のものは全て「趣味」とも言えます。漁師は「仕事」だけど釣りは「趣味」、お金をもらって誰かの前で演奏するのは「仕事」だけど部屋で一人ギターを弾くのは「趣味」と考えれば分かりやすいでしょうか。

大丈夫、どうせ「うまくいかない」から

──「絶対悲観主義」の構えを持つと、良い意味で結果に期待せず、「目の前の仕事を気楽に淡々とやり続けられる」ということですが、それ以外にも何かメリットはあるのでしょうか?

楠木:まずは、仕事に取り掛かるまでのリードタイムが短くなります。重要な仕事を前に腰が重くなるのもやはり、「うまくやらないといけない」と思うからです。絶対悲観主義を徹底していると、こうした気持ちにはなりません。

また、最初からうまくいかないと思っていると失敗を受け止めやすい。つまり失敗耐性がつくというメリットもあります。「失敗できない」という思いが強ければ強いほど、どうしてもボールをバットに当てに行くというか、構えが小さくなってしまいますが、失敗耐性があれば、つねに自分らしいフォームでフルスイングできる。失敗してもダメージを受けず、バットをぶんぶん振り回していけます。

私は、起業家を志望する若者から「起業したいが、リスクが気になる」と相談を受けることが多いのですが、その度に「まったく心配することないですよ。どうせ、うまくいきませんから」と答えてイヤな顔をされています。でも現実にそうなのだから仕方ありません。どうせ失敗するのだから、失敗のリスクを恐れる必要はないでしょう。

──ただ、絶対悲観主義をこじらせると、「気楽にやろう」ではなく「(どうせ思い通りにならないんだから)適当にやろう」という思考に陥ってしまいませんか?

楠木:自分の思い通りにならないと手を抜くなんていうのは、仕事の世界では通用しない姿勢ですよね。私は自分に甘い人間ですが、社会に出たら誰も助けてくれないとは思っています。だからこそ、目の前のお客さんと誠実に向き合い、価値のあるものを提供しなければ誰も相手をしてくれない、と。

──思い通りにならないからこそ、やるべきことをやる。その上で、結果に一喜一憂せず、淡々と仕事に取り組むことが大事だと。

楠木:要は、自分に都合よく考えないということなんです。私も含め人間は自分に甘いので、放っておくと「何とかなるんじゃないか」と、根拠のない期待を抱いてしまいがちです。でも、実際に何とかなることはありません。だからこそ、精進を重ねようと思えるのではないでしょうか。

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仕事の成功とは「お客さんから声がかかること」

──絶対悲観主義で仕事をしていても、稀に「うまくいくこと」はあると思います。それが続くと絶対悲観主義が揺らぎ、何でも思い通りになるんじゃないかと錯覚してしまうこともあるのでは?

楠木:そもそも「哲学」とは、いつ・いかなる時も変わらない、ただ一つの基準のこと。少し調子が良いからと楽観主義に振れるようなものは哲学ではなく、ただの気分です。哲学は状況に依存しません

例えば、特定分野の仕事について評価されることが増え、「自分はこれが得意なんだな」と自信を持てるようになったとします。だからといって、今後の仕事が思い通りにいくわけではないでしょう。

──楠木さんは、どんなに成功してもブレなかったと。

楠木:私の場合は失敗が平常であり、うまくいくことは異常事態。いわば「成功事変」です。仮に素晴らしい成果が得られても「あれ? うまくいってる、おかしいな」と考えるのが当たり前になっています。

──何をもって「成功」と捉えるか、という視点も大事な気がします。そもそも、大した成果も出ていないのに妙に自信を持ってしまうのが問題なのかもしれません。

楠木:全くその通りで、私も含めた「フツーの人」がやる仕事の成果なんて、大したことないんですよ。個人的には、本当の成功って誰にも成し遂げられないことをやってのける、そういう偉業のことを指すと思うので。

もちろん、自信を持つこと自体は悪いことではありません。ただ、それは単なる自己評価ではなくしっかりと根拠のある自信でないと、勘違いを招きます

──どうすれば「根拠のある自信」を持てるようになりますか?

楠木:絶対悲観主義の構えで長く仕事をしていると、稀に悲観が良い方向に裏切られ、「望外の喜び」を感じることがあります。そして、ごく稀に、そうした喜びが繰り返し、繰り返し起こることがある。その度に「おかしいな」と思いながら10年くらい続けているうちに、ようやく「もしかしたら自分はこれが得意なのかも」と気づく。それは、地に足のついた自信といえます。「悲観の壁」を突き破るには、それくらいの時間とプロセスが必要ということですね。

自分に固有の才能が分かってくると、自ずとその分野が主戦場となり、得意でないことはやらなくてよくなる。そうなれば、ますます仕事がラクになっていくと思います。

──ちなみに、楠木さんの場合「仕事がうまくいったかどうか」を、どのように判断していますか?

楠木:私の場合は「次も声がかかるかどうか」ですね。同じクライアントから連続してオファーがくるということは、少なくとも前回は先方の期待に応えられたのかなと。それは会社員も同じで、どんな職種でもお客さんや上司、同僚から「よく頼まれる仕事」があると思います。誰かの期待に応えるのが仕事だとするならば、同僚や上司もみんなお客さんです。その人たちから繰り返し頼られるのであれば、そこに仕事における固有の才能が隠れているのではないかと思います。

仕事は「スピードガン」の世界じゃない

──「お客さんに頼られるかどうか」で仕事の成否を判断するのは分かりやすいです。でも、そのスタンスは、最近よく聞く「自己実現と仕事を結びつける風潮」からややズレている感じもしますね。

楠木:自己実現というか、自分の中の目標を達したい、何かのスキルをつけたい、というのは仕事というより、先ほども申し上げた趣味の発想だと思うんです。もちろん、目標やスキルは仕事の質を上げるために重要ですが、それだけではお客さんの視点が欠けていますからね。 

そういう意味では、問題を向こうが設定してくれて、やることもやる時間も決めてくれて、それを正解すれば評価される受験勉強の世界って「こんなラクなことはない」とさえ思いませんか?

──なるほど。楠木さんがそういう考えに至ったのはなぜでしょう?

楠木:研究者としてキャリアを積んでいく中で「これはスピードガンの世界じゃないんだ」と気づいたからかもしれません。周囲はみんな勉強ができる、140キロの球を投げられない人がいない環境で、それを職業としていくのは容易ではありません。

私の先輩に「160キロの球をパンパン投げる」ような、底抜けに数学のできる人がいました。若い頃はその人のことを神格化していたのですが、あれから3〜40年たった今では「ただ数学がすごくできる人」という印象に落ち着きました。もちろん、研究分野が違うので正当に評価できないのですが。

──できる/できないという価値基準は、仕事を成立させるための一要素にすぎないということがよく分かります。

楠木:だから私は、仕事とはむしろ好きなことをやるべきで「プロダクトアウト(買い手ではなく作り手の意向を優先して製品を開発する考え方)」なものだと捉えるようになりました。なぜなら、価値を提供する人が自分以外にもいるなかで「この人じゃなきゃダメだ」というポジションにならなければいけないからです。

個人的に、誰かに指示されたことから自分のやることを考えるのは、「作業」という印象があります。もちろんどんな仕事でも駆け出しの時はそういう状態ですし、需要に対して自分の価値を提供するのが仕事であるという考え方の人もいるでしょうが、その状態はまだ「仕事」と称するに至らない。仕事とは自分自身にお客さんが付くことだと思うんです。

──絶対悲観主義という考え方は、そうして仕事を「プロダクトアウトなもの」と捉える中で生まれてきたのでしょうか?

楠木:根性も野心もない自分が好きなことを仕事としてやっていくには、絶対悲観主義の方が合っているだろうと。そういうことです。

楠木建さんインタビューカット

仕事の困難なんて、大したことはない

──お話を伺うなかで、改めて「哲学」を持って仕事に向き合うことの大切さに気づかされました。

楠木:仕事は思い通りにならないからこそ、仕事に対する構えだけは自由に選ぶ。私はミクロの集積でしかマクロは存在しない、という社会観を持っていて「仕事ってのはどこまでいっても個人的なものだ」と考えています。だからこそ、組織の方針とは関係ない何かしらの拠り所が、仕事をする上で必要だと思うんです。

──それこそ今は「GRIT」や「レジリエンス」といった言葉が、最強の仕事哲学のように捉えられていますが、それが合わない人もいる。ある意味、「やり抜く力」の真逆といえる「絶対悲観主義」のような、軽やかな哲学を求めている人も多いと思います。

楠木:私の基準では、そもそも仕事で直面する挫折なんて挫折のうちに入りません。本当の逆境や困難は「戦争や病気、災害」など、本当にどうにもならない状況のことを指すのであって、それ以外は全て「気のせい」ではないでしょうか。

繰り返しになりますが、変に「うまくやろう」とするから、少し思い通りにならないだけで「困難」に直面したような錯覚を起こし、心が折れたり、挫折したりするような気持ちになってしまう。でも、そんなのは困難でも何でもないし、困難がなければGRITもレジリエンスも必要ないわけです。わざわざ窮屈な考え方をせず「絶対悲観主義」の構えで、もっと淡々と生きてもいいんじゃないか。私はそう思います。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部
制作:マイナビ転職

※楠木さんのプロフィール内容について、3月11日(月)16:30ごろ適切な内容に修正しました。ご指摘ありがとうございました。

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